ハルは、SNSであまり話さなかった。見ることは好きだった。写真。誰かの日記。知らない人が聴いている音楽。駅。犬。夕焼け。古い建物。朝ごはん。本。机の上。そういうものを見るのは好きだった。コメントはほとんど書かなかった。「いいね」も、あまり押さなかった。フォローしている人の中には、一度も話したことのない人がたくさんいた。毎日見ていると、なんとなく知っている気がした。
クラスでは、SNSをやっている子が多かった。放課後になると、グループチャットが動く。写真。スタンプ。動画。ゲームの話。誰かの悪口。明日の宿題。ハルも入っていた。ほとんど読んでいるだけだった。たまに「了解」と送る。それくらい。
友達のミクに言われた。 「ハル、既読つくのに全然しゃべらないよね」 「うん」 「何で?」 「特に言うことないから」 「見てるだけ?」 「うん」 「楽しい?」 少し考えた。 「まあ」 「謎」 ミクが言った。
ハルには、毎日見るアカウントがあった。名前は 夜の窓。本名は知らない。顔も出ていない。毎晩、窓から見える景色を一枚だけ投稿する。雨の日。月。向かいのマンション。飛行機。道路。誰もいない夜の公園。文章はほとんどない。たまに 今日は少し寒い とか、向かいの部屋の電気が久しぶりについた とか、それだけ。フォロワーも多くなかった。ハルは、その投稿を見るのが好きだった。一度もコメントしたことはない。向こうも、ハルのことを知らない。
ある夜、いつもの時間になっても、投稿がなかった。十一時。十二時。次の日も。その次の日も。少し気になった。事故かな。病気かな。旅行かもしれない。ただ忙しいだけかもしれない。聞くことはできなかった。話したことがない。友達でもない。「大丈夫ですか」と送るのは、なんとなく違う気がした。
五日目、投稿が戻った。いつもの窓。夜の道路。文章が一行。
少し休んでいました。
それだけ。ハルは、ほっとした。いいねを押そうとして、やめた。押さなくてもいい気がした。戻ってきたことがわかればよかった。
学校の道徳の授業で、「つながり」について話した。先生が聞いた。「みなさんにとって、友達とはどんな人ですか」。一緒に遊ぶ人。話せる人。困ったとき助けてくれる人。秘密を話せる人。いろいろな答えが出た。先生は、「SNSでは、本当の友達とは言えない関係も増えていますね」と言った。ハルは、少しだけ引っかかった。夜の窓の人は、友達ではない。知り合いでもない。名前も知らない。五日間いなくなったら気になった。戻ってきたら安心した。
その日の帰り、図書室に寄った。静かな場所が好きだった。誰かと話さなくていい。一人きりでもない。同じ部屋に、知らない人がいる。ページをめくる音。鉛筆。椅子。咳。それだけ。
家で、そのことを母親に話した。 「SNSで話さないのに、見るだけって変?」 「別に」 「でも、それって参加してないってこと?」 「参加?」 「うん」 母親は少し考えた。 「見てるなら参加してるんじゃない?」 「何もしてなくても?」 「映画だって、見てるだけじゃない」 「それはそうだけど」 「コンサートも。図書館も」 ハルは、ちょっと納得した。
その週末、ネットで小さなコミュニティを見つけた。写真を一枚だけ投稿できる場所。コメント欄はない。フォロワー数も表示されない。人気順もない。人の投稿が静かに並んでいる。写真の下には、短い言葉だけ。
朝のバス停 父の古いラジオ 誰もいない商店街 今日の机
しばらく見ていた。何も起こらない。誰も会話していない。人の気配はある。
自分も一枚、投稿してみた。家のベランダから見える、夕方の電線。文章は 17:43 だけにした。投稿。何も起きなかった。通知もない。反応もない。どこかの誰かが見るかもしれない。
数日後、そのサイトに NOT YET へのリンクがあった。
この場所が気になった人へ。まだ名前のない未来を考えてみる。
開いた。
気がつくと、ついしてしまっていることは?
人の投稿を見る
でも、あまりしたくないことは?
コメントすること
それでも、その場所にいたいと思いますか?
思う
「つながる」という言葉で、少し苦しいと感じることは?
長く考えた。
仲良くならないといけない感じ
未来のコミュニティにあってほしいものは?
話さなくてもいられる場所
七つの質問に答える。しばらくして、画面が変わった。
POSSIBLE WORLD 01
会話しなくても参加できる場所をつくる
2048年。 オンラインのコミュニティは、会話する人だけの場所ではなくなっているかもしれません。読む。見る。聞く。そこにいる。何もしない。それも、参加として認められます。
あなたは、話すことを要求しない共同体 を設計する人になるかもしれません。
この仕事には、まだ名前がありません。
ハルは、図書室を思い出した。次。
POSSIBLE WORLD 02
「弱いつながり」を守る
人と人の関係には、親友でも、他人でもないものがある。毎朝同じ電車で見る人。いつも同じ店にいる人。毎晩投稿を見る人。名前は知らないけれど、いなくなると少し気になる人。
2048年。社会では、そんな弱いつながりが、孤立を防ぐ大切な仕組みとして見直されているかもしれません。あなたは、人を無理に近づけず、でも完全には切り離さない距離を、設計する仕事をするかもしれません。
三つ目。
POSSIBLE WORLD 03
「反応しなくていい」インターネットをつくる
未来のネットでは、反応することが、今より疲れる行為になっているかもしれません。返信。評価。ランキング。フォロワー。既読。おすすめ。人は、常に何かを返すことを求められます。そのとき、反応しなくても存在できる場所 が必要になるかもしれません。
あなたは、沈黙を失敗とみなさないサービスを作る人になるかもしれません。
ハルは、三つ目を何度も読んだ。沈黙を失敗とみなさない。それが、一番しっくりきた。
翌週、クラスのグループチャットで、少し揉め事があった。一人の子が、ずっと既読なのに返事をしなかった。 「なんで無視するの」 「見てるなら返してよ」 「感じ悪い」 メッセージが続いた。ハルは、何も書かなかった。少し前の自分なら、黙って見ていただけだったと思う。その日は、一つだけ送った。
見てるだけでもいいんじゃない
すぐに、「ハルがしゃべった」と返ってきた。スタンプ。笑い。少し後悔した。消さなかった。しばらくして、返事をしていなかった子から、個別にメッセージが来た。
ありがとう
うん
と返した。それだけ。
数日後、夜の窓が、また投稿した。雨の窓。道路に、街灯が反射している。文章。
今日は誰とも話さなかった。
コメント欄は開いていた。大丈夫ですか。わかります。無理しないで。いろいろ浮かんだ。どれも少し違う気がした。ハルは、いいねを一つ押した。初めてだった。それだけ。
しばらくすると、夜の窓から、ハルの投稿にも一つ、いいねがついた。17:43 とだけ書いた、夕方の電線の写真。メッセージは来なかった。ハルも送らなかった。
学校の図書室。放課後。窓際の席で本を読んでいた。少し離れた場所に、いつも同じ時間に来る男子生徒がいる。名前は知らない。話したこともない。いつも大きな図鑑を読んでいる。ある日、その席が空いていた。少しだけ気になった。次の日も。三日目。またいた。いつもの席。いつもの図鑑。話しかけなかった。向こうも、ハルを見なかった。
NOT YETをもう一度開いた。未来へのメモを書く。
人と近くなりすぎなくても、一人にならない場所がほしい。
少し考えて、続けた。
友達じゃなくても、気にしていていい。
保存。