05

虫がいなくなった場所

いなくなったもの

ソウタは、虫が好きだった。詳しくはなかった。カブトムシの種類を全部言えるわけでもない。蝶の名前も、図鑑を見ないとよくわからない。標本を作ることにも興味はなかった。捕まえるより、どこにいるかを見る方が好きだった。

学校の帰り道。公園。植え込み。駐車場の端。川沿い。空き地。街路樹。何がいるかというより、どこにいるか。それが気になった。

六月、学校の裏にある小さな公園で、今年最初のセミを見つけた。まだ鳴いていなかった。木の幹に一匹だけ止まっていた。ソウタはスマートフォンで写真を撮って、友達のケンタに送った。

セミいた

すぐ返事が来た。

早くね?

たぶん

と返した。去年いつ見たのかは覚えていなかった。写真の日時を確認する。前年は七月三日。今年は六月二十二日。十一日早い。 「へえ」 と声が出た。それだけだった。早い年もあるだろう。

ソウタは、虫を見つけると写真を撮るようになった。特別な虫ではない。アリ。ハエ。蝶。カナブン。バッタ。クモ。名前を知らない小さな虫。写真アプリに 虫 というフォルダを作った。あとで見返すと、ほとんど同じ場所で撮っていることに気づいた。川。学校裏。家の近くの空き地。駅前の花壇。いちばん多いのは空き地だった。

家から五分くらいのところにある。草が伸び放題で、夏になると腰くらいの高さになる。誰も遊ばない。ベンチもない。近所の人は「あそこ汚いよね」と言っていた。ソウタは好きだった。虫が多かったからだ。

夏休みに入る少し前、空き地の前を通ると、白いフェンスが立っていた。工事のお知らせ。

共同住宅建設予定地

立ち止まった。草はもう刈られていた。何もなかった。土だけ。一瞬、場所を間違えたのかと思った。モンシロチョウ。バッタ。小さな蜂。夕方になると飛んでいたトンボ。全部、いなかった。全滅したわけではない。どこかへ移っただけかもしれない。そこにはいなかった。

写真を撮った。土だけの空き地。家に帰って、虫フォルダを開く。同じ場所の昔の写真。草。蝶。バッタ。そして今日の写真。土。虫は写っていない。今日の写真も、虫フォルダに入れた。

母親がそれを見て言った。 「虫いないじゃん」 「うん」 「なんで虫のところに入れるの」 「虫がいないから」 「?」 母親はよくわからない顔をした。ソウタもうまく説明できなかった。虫がいない写真も、虫の記録だと思った。

夏休みの自由研究を決める時期になった。先生は「好きなことをテーマにしていいですよ」と言った。ケンタは昆虫採集にすると言った。 「ソウタも虫だろ」 「うん」 「何捕まえる」 「捕まえない」 「じゃあ何すんの」 「いないところ見る」 「何それ」 「虫がいなくなった場所」 ケンタは笑った。 「それ自由研究になる?」 ソウタも笑った。 「わかんない」

家に帰って、自由研究について検索した。昆虫観察。標本。生態。食べ物。飼育。いろいろ出てきた。やりたいこととは違った。いないものをどう調べればいいのか。検索欄に 虫 いなくなった 場所 調べる と入れた。生物多様性。環境変化。都市化。生息地。難しい言葉が出てきた。読んでいるうちに、ひとつだけわかった。虫がいなくなったとき、虫だけを見てもわからない。

次の日、空き地の周りを歩いた。道路。新しいマンション。駐車場。コンビニ。小さな庭のある家。虫が移れそうな場所を探す。公園まで三百メートル。途中には大きな道路がある。バッタって道路渡るのかな、と思った。帰って調べた。飛べるものもいる。飛べないものもいる。種類による。当たり前だった。人間にとって三百メートルは近い。虫にとっては、そうでもないかもしれない。

数日後、祖父の家へ行った。祖父は庭で野菜を作っていた。 「昔って虫もっといた?」 「いたなあ」 「どのくらい」 「どのくらいって言われてもな」 「いっぱい?」 「車走ったら、フロントガラス虫だらけになったよ」 「ほんと?」 「夜なんか街灯の周り、すごかったぞ」 ソウタは、そんな景色を知らなかった。 「今は?」 「減ったんじゃないか」 祖父は、あまり気にしていない様子でトマトを取った。 「なんで」 「さあな」 農薬。住宅。道路。気温。いろいろあるんじゃないか、と祖父は言った。どれが原因なのかはわからない。みんな「昔はもっといた」と言う。どこに何匹いたのかは、誰も覚えていない。

その夜、スマートフォンを見ていた。ニュースアプリ。動画。ゲーム。その間に、広告のように表示されたページがあった。

NOT YET

閉じようとした。下に書いてあった。

まだ名前のない未来を探す。

自由研究のテーマが決まっていなかったので、なんとなく開いた。

最近、なぜか気になっていることは?

虫がいなくなること

それは、何が気になっていますか?

少し迷った。虫がかわいそうだから、というのもある。それだけではなかった。

いなくなっても誰も気づかないこと

あなたがつい比べてしまうものは?

前にあったものと今

誰も問題にしていないけれど、変だと思うことは?

空き地の写真を思い出した。草。土。

場所が全部変わっても、その前に何がいたか誰も残してない

七つの質問に答える。画面に 考えています。 と出た。少しして、一つ目の未来が表示された。

POSSIBLE WORLD 01

「いなくなった」を見つける

2045年。 環境を調べる仕事では、いる生き物を数えるだけでなく、前にはいたのに、今はいないもの を見つけることが重要になっているかもしれません。虫。鳥。植物。魚。そして、その場所にあった日陰や水たまり。

あなたは、いまある自然を見るだけではなく、消えた自然の痕跡 を探す人になるかもしれません。

この仕事には、まだ名前がありません。

次。

POSSIBLE WORLD 02

生き物から街を見る

人間に便利な街が、すべての生き物に便利とは限らない。道路。照明。建物。フェンス。コンクリート。人間には小さな変化でも、小さな生き物には巨大な壁になることがある。

2045年。街を作る前に、この場所を虫や鳥がどう通るか を調べる仕事があるかもしれません。人間だけではなく、人間以外の住民から街を見る仕事です。

ソウタは、「住民」という言葉をもう一度読んだ。虫も、住民。今まで考えたことがなかった。三つ目。

POSSIBLE WORLD 03

まだ異常ではない変化を記録する

大きな環境問題は、数字になってからニュースになる。異変はもっと前から始まっているかもしれない。去年より蝶が少ない。今年はセミが早い。いつもの池にトンボがいない。空き地が一つなくなった。それだけでは、事件ではない。小さな変化を長く集めると、未来の誰かが、大きな変化の始まりを見つけられるかもしれません。

あなたは、まだ問題と呼ばれていない変化を記録する人 になるかもしれません。

ソウタは画面を閉じた。少しして、また開いた。三つ目を読み返した。まだ問題と呼ばれていない変化。 それなら、自分でも調べられる気がした。

自由研究のタイトルを変えた。最初は ぼくの町の昆虫 と書こうとしていた。消した。

虫がいなくなった場所

と書いた。

町を六つの場所に分けた。空き地。公園。川。駅前。住宅街。学校。毎週、同じ時間に歩く。虫を見つけたら写真を撮る。見つからなくても写真を撮る。天気。気温。草の高さ。工事。明るさ。気づいたこと。最初は適当にメモしていた。だんだん面白くなってきた。

駅前には虫が少ない。植え込みの裏にはアリがいる。川沿いは多い。学校の花壇は、見た目より少ない。夜のコンビニには、小さな虫が集まる。新しいLEDの街灯の下には、昔の街灯ほど集まっていないように見える。本当かどうかはわからない。だから たぶん と書いた。

ケンタも一度ついてきた。 「これ何匹いたら多いの」 「わかんない」 「去年と比べるんじゃないの」 「去年調べてないから」 「じゃあ意味なくね」 ソウタは少し考えた。 「来年わかる」 ケンタは「来年もやるの」と笑った。

そのとき初めて気づいた。今年だけ調べても、なくなったかどうかはわからない。二年。三年。もっと長く見ないといけない。自由研究は、夏休みで終わる。観察は終わらなくてもいい。

八月、空き地ではマンションの基礎工事が始まった。大きな機械。トラック。鉄筋。フェンスの外から写真を撮った。去年の写真と並べる。草が生えていた場所に、コンクリートが流し込まれている。

自由研究の発表の日、ソウタは空き地の写真を二枚並べた。去年。今年。 「ここには去年、バッタと蝶と蜂がいました。今年は工事をしているので、いません」 先生が聞いた。 「虫たちはどこへ行ったんでしょう」 「わかりません」 教室が少し笑った。ソウタは続けた。 「調べてもわかりませんでした。近くの公園まで行けた虫もいると思います。行けなかった虫もいると思います。何匹いたのかもわかりません。いなくなった数もわかりません」 少し止まった。 「それが一番変だと思いました」 「どういうこと?」 「なくなったことを調べようとしたら、なくなる前の記録がないと、調べられないからです」 教室が静かになった。

自由研究は、特別賞には選ばれなかった。優秀賞は、アゲハチョウの羽化を毎日撮影した子だった。写真がきれいで、観察も細かかった。ソウタも、すごいと思った。自分の研究は、わからないことばかりだった。それでも、捨てなかった。

九月、学校が始まった。虫の写真を撮る回数は減った。宿題も増えた。日が短くなった。それでも、空き地だった場所の前を通ると、一枚撮った。十月。十一月。十二月。マンションが少しずつ高くなった。冬になると、虫はほとんど見なくなった。ソウタの写真は、虫のいない写真ばかりになった。 「まだ虫の研究してるの?」 母親が聞いた。 「たぶん」 と言った。

春、新しいマンションが完成した。入り口には、小さな植え込みができていた。若い木。低い草。花。ソウタは、そこを見た。しばらく待った。小さな蝶が一匹、飛んできた。花に止まった。写真を撮った。去年の空き地とは違う。何もいないわけではない。新しい場所には、新しい生き物が来る。それも記録しておこうと思った。

写真のメモに、こう書いた。

4月18日。マンション前。蝶1。

少し考えて、もう一行。

戻ってきた、とはまだ言えない。

保存した。

NOT YETを開く。何か答えが欲しかったわけではない。未来へのメモを一つだけ書いた。

いなくなったことだけじゃなく、戻ってきたことも見たい。

12人の物語を読んだあとで、今度は、あなたの「なんとなく気になること」から、まだ名前のない未来を探してみる。

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