レンは、ゲームをクリアしなかった。できないわけではない。しようとしなかった。ボスの場所も、強い武器の作り方も知っていた。攻略動画を見れば、最短ルートもすぐわかる。そういうものに、あまり興味がなかった。
新しいゲームを始めると、まず地図の端へ行った。川の上流。山の裏側。通れないはずの道。建物と建物の間の、妙に細い隙間。クエストに関係ないベンチ。そういう場所を見つけると、うれしくなった。
「そこ何もないよ」 オンラインで一緒に遊んでいる友達のショウが言った。 「うん」 「じゃあ何で行くの」 「見たいから」 「何を」 レンは答えられなかった。何もないところに何があるのかを見たかった。
そのゲームには、大きな港町があった。中央広場に武器屋、宿屋、交易所、ギルドが並んでいる。プレイヤーはそこで装備を整え、依頼を受け、次の地域へ向かう。攻略サイトには、港町では装備更新だけ済ませて、すぐ北門へ と書いてあった。
レンは北門へ行かなかった。港の一番端まで歩いた。倉庫が並んでいる。ほとんどの扉は開かない。木箱。ロープ。壊れた荷車。その奥に、小さな階段があった。下りると、海沿いに細い道が続いていた。敵はいない。アイテムも落ちていない。クエストマークもない。海があった。遠くで船が動いていた。NPCが一人、釣りをしていた。話しかけても、「今日は風が弱いな」と言うだけだった。
レンは、その横にキャラクターを座らせた。しばらく画面を見ていた。 「何してんの」 ショウが聞いた。 「釣りの人見てる」 「クエスト?」 「違う」 「レアアイテム?」 「ない」 「じゃあ行こうよ」 「先行ってて」 「意味わかんない」 ショウのキャラクターは走っていった。レンは残った。釣り人は、ときどき竿を上げた。何も釣れなかった。また投げた。風の音がした。船が一隻通った。それだけだった。レンは、この場所が好きになった。
学校では、総合学習で「将来の仕事」について調べていた。班ごとに一つの業界を選ぶ。レンの班はゲーム業界になった。 「レン、ゲーム好きだからちょうどいいじゃん」 ショウが言った。 「まあ」
資料を集める。ゲームディレクター、プログラマー、3Dデザイナー、シナリオライター、サウンドクリエイター。班のみんなは、「俺ならプログラマー」「絵うまい人はキャラデザじゃない?」と話していた。レンは仕事内容の一覧を見た。どれも必要な仕事だった。港の端の細い道を作った人は、どの欄に入るのだろう。釣り人を置いた人。「今日は風が弱いな」とだけ言わせた人。何の役にも立たない階段を作った人。 「何調べる?」 と班の子が聞いた。 「何も起こらない場所を作る人」 と言いかけて、やめた。 「背景とか」 と答えた。
家に帰ると、またゲームを起動した。港町。細い階段。釣り人。その日は雨が降っていた。前に来たときとは、海の色が違っていた。話しかける。「今日は魚も休みたいらしい」。レンは笑って、スクリーンショットを撮った。フォルダには、こういう写真が大量にあった。ボスを倒した瞬間ではない。路地、屋根、階段、裏庭、誰もいない駅、夕暮れの橋、閉まっている店。ゲームの中の、誰も見ない場所だった。
「ゲーム、進んだ?」 夕食のとき、父親が聞いた。 「全然」 「そんなにやってるのに?」 「うん」 「クリアするゲームじゃないの」 「するけど」 「じゃあ何してるの」 「散歩」 父親が笑った。 「ゲームの中で?」 「うん」 「現実で散歩した方がいいんじゃない」
たしかに、そうかもしれなかった。現実の街には、そこにある理由がある。道路、店、駅。ゲームの街は、誰かが全部作っている。意味のない路地も、わざわざ誰かが置いた。そこが面白かった。
数日後、港町のアップデートが入った。新しい大型クエストが追加された。ログインすると、中央広場はプレイヤーで混雑していた。レンはいつものように港の端へ向かった。階段。その先。止まった。道がなかった。倉庫の配置が変わっていた。細い階段も、海沿いの道も、釣り人も、消えていた。
地図を開く。表示されていない。別の入口を探した。なかった。ショウからメッセージが来た。
新クエやろ
あとで
と返した。もう一度探した。なかった。
運営からのお知らせを読む。大型アップデート。新エリア追加。バトル調整。UI改善。港町の一部レイアウト最適化。たぶん、その「最適化」で消えたのだ。ゲームが壊れたわけではない。倉庫の位置はわかりやすくなり、中央広場から北門まで短くなった。消えたのは、何にも使わない場所だけだった。
その夜、以前撮ったスクリーンショットを開いた。雨の日の海。釣り人。細い道。「今日は魚も休みたいらしい」。もう、ゲームの中では聞けない。
翌週、学校の図書室で調べものをしていると、タブレットの履歴に変わったサイトが残っていた。前の時間に誰かが使ったらしい。黒い画面。
NOT YET
閉じようとした。下に、まだ名前のない未来を探す とあった。開いた。
気がつくと、ついやってしまうことは?
ゲームの地図の端まで行く
他の人には意味がないと言われるけれど、気になるものは?
誰も行かない場所
なくなると嫌なものは?
役に立たない場所
書いてから、少し変だと思った。なくなって困るわけではない。なくなってほしくないこととは、別だった。
未来の世界に増えてほしくないものは?
長く考えた。便利なものが嫌いなわけではない。ゲームだって操作しやすい方がいい。全部が目的に向かって一直線になるのは、少し嫌だった。
全部に意味がある場所
と書いた。七つの質問に答える。しばらくして、画面が変わった。
POSSIBLE WORLD 01
余白を設計する
2043年。 仮想世界は、今よりずっと広くなっている。ゲーム。仕事。学校。買い物。友人との会話。多くの時間を、人はデジタル空間で過ごす。その世界には、便利な場所だけでなく、何もしなくてもいい場所 が必要になるかもしれない。目的地ではない場所。点数がつかない場所。誰かに見せなくていい場所。
あなたは、そういう余白を設計する人になるかもしれません。
この仕事には、まだ名前がありません。
レンは読み返した。余白。ゲームの道の端みたいなものだろうか。次。
POSSIBLE WORLD 02
世界の「寄り道」をつくる
サービスは、人をなるべく早く目的へ届けようとする。おすすめ。最短経路。自動選択。予測入力。でも、人間が何かを見つけるのは、目的地へ向かっていないときかもしれない。
2043年には、偶然に出会うための寄り道を設計する仕事 が生まれているかもしれません。ゲームだけではない。街。学校。美術館。ショッピング。インターネット。あなたは、「最短ではない道」を作ります。
レンは少し笑った。最短ではない道。それなら、かなり得意だった。三つ目。
POSSIBLE WORLD 03
誰も使わない場所を観察する
作られたものには、作った人の意図がある。人は必ずしも、意図された通りに使わない。誰も座らないベンチ。誰も通らない通路。誰も押さないボタン。ゲームで誰も行かない場所。そこには、設計した人が見落とした何かがあるかもしれない。
未来では、使われなかったものを観察すること そのものが、新しい世界を作るヒントになるかもしれません。
レンは画面を閉じなかった。図書室の時計を見る。休み時間は、あと五分だった。一番下に、小さな文章があった。
あなたが好きなことを、すぐに仕事へ変える必要はありません。 まず、なぜそれが気になるのかを、しばらく観察してみてください。
その部分だけ、写真に撮った。
その日の放課後、ショウとゲームをした。 「今日こそ新クエやろうぜ」 「いいよ」 二人で北門を出た。新しい地域。強い敵。新しい武器。ボス戦。レンも普通に楽しかった。一時間ほど遊んだ。クエストが終わった。 「次どうする?」 ショウが聞いた。 「ちょっと歩く」 「また?」 「うん」 「好きだな、それ」 ショウは、先にログアウトした。
レンは一人になった。新エリアの山道を歩く。本来のルートから外れる。崖。森。川。マップの端。崖の裏側に、小さな空間があった。普通に進めば、絶対に見えない場所だった。入る。何もない。宝箱もない。敵もいない。一本の木が立っていた。木の下に、古い椅子が一脚だけ置かれていた。
レンはキャラクターを座らせた。遠くに、さっき攻略した城が見えた。山の向こうに夕日が沈んでいく。音楽が少し小さくなった。風の音。草。遠くの鳥。スクリーンショットを撮った。
次の日、学校のゲーム業界についての発表で、レンの班はプログラマー、デザイナー、サウンドクリエイター、ゲームディレクターについて説明した。最後に、「自分がゲーム会社でやってみたい仕事」を一人ずつ発表することになった。ショウは「ゲームディレクター」と言った。別の子は「キャラクターデザイナー」。
レンの番になった。少し迷った。前なら、背景デザイナー、と言っていたと思う。その日は違った。 「まだ名前がないんですけど」 と言った。 「どういう仕事?」 先生が聞いた。昨日の椅子を思い出した。 「ゲームの中に、何もしなくていい場所を作る仕事」 クラスが静かになった。誰かが「何それ」と笑った。レンも少し笑った。 「わかんない。でも、ずっとクエストしてたら疲れるから」 先生が「なるほど」と言った。それ以上は何も言わなかった。
その夜、昨日の場所へ戻った。椅子はまだあった。キャラクターを座らせる。コントローラーから手を離す。画面の中では、何も起きていなかった。経験値は増えない。アイテムも手に入らない。ストーリーも進まない。
新しいフォルダを作った。名前を 寄り道 にした。最初のスクリーンショットを保存した。
コントローラーを置く。画面の中で、夕日が沈んだ。ゲームは、まだ終わっていなかった。