ユナは、ニュースが好きではなかった。ニュースそのものが嫌いというわけではない。大きすぎるのが苦手だった。選挙。戦争。災害。株価。AI。物価。事件。どれも大事なのはわかる。毎日そればかり見ていると、世界はいつも大変なことだけでできているように見えた。ユナが気になるのは、もっと小さいことだった。
朝、駅へ向かう途中にあるパン屋の前で、いつも並んでいた人がいなくなった。何日か続けて見ていたら、張り紙が出た。
営業時間を変更します
朝七時からだったのが、九時からになっていた。理由は書いていなかった。売れなくなったのか。人が足りないのか。店主が高齢なのか。朝にパンを買う人が減ったのか。わからない。何かは変わった。
別の日、商店街の花屋が、店先に置く鉢植えの数を減らしていた。以前は歩道ぎりぎりまで並んでいた。今は半分くらい。その隣のクリーニング店には、水曜日定休に変更します と紙が貼ってあった。さらに少し先の小さな薬局では、午後の休憩時間が長くなっていた。一つずつなら、何でもない。なんとなく同じ匂いがすると思った。
学校で、社会の先生が言った。「新聞やニュースを見る習慣をつけましょう」。ニュースアプリを開いた。海外の選挙。大企業の買収。大雨。新しいAIモデル。スポーツ。有名人。パン屋の営業時間は、当然出てこない。花屋の鉢植えも。薬局の休憩時間も。ニュースではないからだ。そちらの方が気になった。
「何見てるの」 昼休み、友達のメイが聞いた。スマートフォンのメモを見せた。
街で変わったこと パン屋 7:00 → 9:00 花屋 鉢植え減った 薬局 昼休み長くなった 駅前のベンチ 1個なくなった 公園 水飲み場 使用禁止 コンビニ 夜勤募集の紙ずっと貼ってある
「何これ」 「わかんない」 「自由研究?」 「違う」 「ニュース?」 「ニュースじゃない」 「じゃあ何」 「だから気になる」 メイは笑った。 「意味わかんない」
家では、父親が毎晩ニュースを見ていた。夕食の時間。テレビでは、景気について専門家が話していた。「消費者心理が」「人手不足が」「実質賃金が」「中小企業が」。難しい言葉が続く。 「人手不足ってどうやったらわかるの」 「統計じゃない?」 「統計が出る前は?」 「求人とか」 「求人が増えたら?」 「そうだね」 ユナは、コンビニに貼られた求人の紙を思い出した。三か月くらい、ずっと同じ場所にある。 「じゃあ、あれも人手不足?」 「何が?」 「駅前のコンビニ」 「かもしれないね」 父親は、それでニュースに目を戻した。
次の日、コンビニの求人の紙を写真に撮った。
スタッフ募集
時給が、以前より上がっていた。メモした。
7月 1,250円 → 8月 1,350円
たまたまかもしれない。最低賃金が変わっただけかもしれない。仕事が大変になったのかもしれない。理由はわからない。横に ? をつけた。
それから、街の「?」を集めるようになった。スーパーの閉店時間が一時間早くなった。駅前の居酒屋がランチを始めた。自転車屋が、修理の予約制を始めた。家の近くで、外国語の案内が増えた。公園のゴミ箱が撤去された。駅前に、宅配ロッカーが増えた。学校の購買で、現金を使う子が急に減った。全部、小さい。どれも、ニュースにはならない。少しずつ、何かが動いている気がした。
ある土曜日、祖母と買い物に行った。昔からある商店街。 「この辺も変わったねえ」 「何が?」 「魚屋なくなったでしょ」 「あったの?」 「あったわよ」 「どこ?」 「あそこ。今美容院になってるところ」 ユナには、魚屋だった景色が想像できなかった。 「ほかは?」 「文房具屋もあった」 「どこ?」 「そこはマンション」 「いつなくなったの」 「いつだったかなあ」 十年前か。十五年前か。覚えていない。店は、ある日突然全部なくなったのではない。一軒。また一軒。気づいたら、商店街そのものが変わっていた。
夏休み、学校から「地域について調べよう」という宿題が出た。迷わず、この一年で街から消えたもの にした。先生には「ちょっと暗いテーマね」と言われた。続けた。近所を歩く。写真を撮る。昔のストリートビューを見る。店の人に聞く。祖母にも聞く。思っていた以上に、いろいろ消えていた。個人経営の喫茶店。写真店。銀行のATM。郵便ポスト。公衆電話。新聞販売店。ベンチ。ゴミ箱。自動販売機。逆に、増えたものもあった。宅配ロッカー。コインランドリー。24時間ジム。シェアサイクル。無人販売。小さな介護施設。
消えたものと、増えたものを並べた。街が少し違って見えた。人と話す場所が減っている。自分で済ませるものが増えている。本当にそうなのかは、わからない。仮説としてメモした。
街は、人と会わなくても生活できる方向に変わっている?
最後に、?をつけた。
宿題を調べているとき、検索結果の途中に、見慣れないサイトが出てきた。
NOT YET
黒い画面。
まだ名前のない未来を探す。
開いた。
気がつくと、つい見てしまっているものは?
街の小さい変化
ほかの人があまり気にしていないけれど、気になることは?
店の営業時間とか、なくなったもの
あなたが「何かが始まっている」と感じる瞬間は?
少し考えた。
同じような小さい変化が何個も出てきたとき
ニュースになる前に知りたいことは?
みんなの暮らしが変わり始めたこと
七つの質問に答えた。画面に 考えています。 と出た。やがて、一つ目のカードが現れた。
POSSIBLE WORLD 01
まだニュースではない変化を探す
2049年。 社会の変化を知る人は、ニュースだけを見ていないかもしれません。営業時間。求人。値札。看板。店の種類。人の歩き方。使われなくなった場所。街に現れる、小さな変化を集めます。一つだけなら偶然。同じ方向の変化が増えていくと、その先に大きな変化があるかもしれません。
あなたは、まだニュースになっていない兆候を見つける人 になるかもしれません。
この仕事には、まだ名前がありません。
ユナは、その文章を見た。兆候。初めて知る言葉ではなかった。今までより、自分の言葉に近く感じた。次。
POSSIBLE WORLD 02
「普通」の変化を記録する
社会の変化は、大事件だけで起きるとは限らない。毎朝パンを買えなくなる。ベンチが一つなくなる。店員が一人減る。現金を使う人が少なくなる。誰かに聞いていたことを、機械に聞くようになる。一つずつは、小さな出来事です。未来から振り返ると、それが時代の変わり目だったとわかることがあります。
あなたは、普通が普通でなくなっていく途中 を記録する人になるかもしれません。
三つ目。
POSSIBLE WORLD 03
数字になる前の社会を読む
統計は、社会を知るための大切な道具です。数字になるまでには時間がかかる。人が「最近ちょっと変だな」と感じることは、もっと早く始まっている。店の会話。掲示物。検索される言葉。売れなくなったもの。新しく売れ始めたもの。
2049年には、数字になる前の変化を観察する仕事 が、企業や行政や研究者のそばにあるかもしれません。あなたは、未来を当てるのではなく、変化の始まりを探します。
ユナは、ここで止まった。未来を当てるのではなく、変化の始まりを探す。予言ではない。ただ、よく見る。
学校の発表の日、写真を並べた。営業時間が変わったパン屋。閉まった写真店。新しい宅配ロッカー。コインランドリー。撤去されたベンチ。ずっと貼られている求人。最後に、一枚の地図を出した。赤い点。青い点。赤は、消えたもの。青は、増えたもの。 「ここから、何がわかりましたか」 先生が聞いた。 「わかりません」 教室が少し笑った。ユナも笑った。 「でも、前より、人に頼まなくてもできるものが増えてる気がします」 「例えば?」 「宅配ロッカーとか、無人販売とか、セルフレジとか」 「それは便利ですね」 「はい」 「悪いことですか」 首を振った。 「悪いとは思いません」 少し考えて、言った。 「ただ、便利になると、街から人がいなくなる場所もあるのかなって」 教室が静かになった。 「まだわかりません」 と付け足した。
秋、パン屋の営業時間は、九時からのままだった。ある朝、店の前を通ると、店主がシャッターを開けていた。思い切って聞いた。 「前は七時からでしたよね」 「そうだよ」 「なんで変えたんですか」 「朝の人が減ったからね」 「売れなくなったんですか」 「それもあるけど」 店主は、シャッターを上げながら言った。 「朝の担当が辞めちゃってさ。新しい人も来ないし」 一つの理由ではなかった。パン屋 7→9 の横に、新しいメモを加えた。
朝客減少+人手不足
そのあと、?は消さなかった。
帰り道、駅前のベンチが、また一つ減っていることに気づいた。工事のためかもしれない。壊れたのかもしれない。ホームレス対策かもしれない。単なる入れ替えかもしれない。まだ、わからない。写真を撮った。メモする。
ベンチ 2→1
横に、?
NOT YETを開いた。未来へのメモを書く。
大きなニュースになってから知るのでは遅いこともある。
少し考えて、続けた。
でも、小さい変化を全部「兆候」にするのも違う。
さらに、
だから、何度も見る。
保存した。
その夜、テレビでは、「社会は大きな転換点を迎えています」と専門家が話していた。父親が「へえ」と言った。ユナは、窓の外を見た。向かいの小さな弁当屋が、いつもより一時間早く、店の明かりを消した。明日も早く閉めるのかは、まだわからない。一日だけなら、何でもない。スマートフォンを開いた。メモする。
弁当屋 19:02 消灯。いつもより早い?
最後に、いつもの記号をつけた。
?