02

音のない駅

消えていく音

ミナは駅の音を録っていた。電車でも発車メロディでもなく、その手前にあるものだった。改札のピッ。階段の靴。傘の先が床に当たる音。ホームの端で缶コーヒーが開く。電車が来る少し前に、ホーム全体がざわつく。

「それ、何に使うの」 と聞かれることが多かった。 「別に」 と答えた。本当に、使い道はなかった。動画にも音楽にもしなかった。スマートフォンの中に「駅」というフォルダがあり、0421_0718、0425_1622、0502_1811 というファイルが並んでいた。あとで聞き返すことも、ほとんどなかった。録っておきたかっただけだった。

五月のある朝、いつもの駅に着いて、何かがおかしいと思った。何がおかしいのかは、すぐにはわからなかった。改札を通った。ピッ。階段を下りた。人もいる。電車も来た。ホームに立って三十秒くらいしてから気づいた。鳥の声だった。

駅の裏には、名前のない緑地がある。フェンスと駐輪場の間に、木が数本残っているだけだ。春になると、朝、そこから鳥が鳴いた。きれいな声ではなかった。名前も知らなかった。毎朝鳴いていただけだった。その日、鳴いていなかった。翌日も、次の日も。

ミナはスマートフォンを出した。一分間、録った。家で聞いた。足音、電車、アナウンス、改札、遠くのトラック。鳥はいなかった。ファイル名を変えた。

0508_鳥なし

学校で環境の授業があった。先生が、地球温暖化によってさまざまな生き物に影響が出ている、と言った。教科書には白くなったサンゴ礁と、痩せたホッキョクグマが載っていた。ミナは手を挙げようとした。駅の鳥の話をしようとして、やめた。鳴かなくなったからといって、温暖化とは限らない。季節かもしれない。その木にいなくなっただけかもしれない。毎朝鳴いていたという記憶自体、だんだん怪しくなってきた。音を録っておけばよかった、と思った。

その日の帰り、駅の裏へ回った。緑地の前に白い柵があった。小さな看板。

工事のお知らせ

敷地整備のため、樹木の一部を伐採します。 工事期間は四月二十七日から五月十日。

後ろを見た。木が二本なくなっていた。 「あ」 と声が出た。二本だけだった。ニュースになるようなことではなかった。

録音を始めた。工事の音はもうしなかった。車、自転車のベル、電車、風。それだけだった。ファイル名を 0509_木が2本ない にした。

「何してるの」 後ろから声がした。同じクラスのサエだった。 「録音」 「何の」 少し迷った。 「木がない音」 サエは黙った。 「木がない音?」 「うん」 「木って音するの」 「してた」 「どんな」 答えられなかった。木そのものが鳴いていたわけではない。葉っぱ、鳥、虫、風。その周りの何かだった。 「わかんない」 「変なの」 サエは言った。笑わなかった。

その夜、古い録音を聞いた。四月二十一日。イヤホンをつける。人の声、電車、鳥。いた。思っていたより、ずっと大きな声だった。四月二十五日。鳥。二十六日。鳥。二十八日。工事。五月二日。工事。鳥はほとんど聞こえなかった。五月八日。鳥なし。

波形を眺めた。音は見えないのに、画面にすると、あったことだけは残る。なくなったものは録れない。なくなる前が残っていれば、なくなったことはわかる。

数日後、父親がスマートフォンを見て言った。 「録音、多すぎない?」 ストレージの空きが少なかった。 「消せば?」 「嫌」 「何に使うの」 「使わない」 「じゃあ消していいじゃん」 「使わないものって、残しちゃダメなの」 父親は困った顔をした。 「ダメじゃないけど」 「じゃあ残す」 「クラウドに移したら」

その方が現実的だった。父親がパソコンを開いた。ファイルを移している途中、ブラウザに黒い画面が残っていた。

NOT YET

「何これ」 「前に見つけたやつ。まだ存在しない仕事とかを考えるサイト」 「仕事?」 「そう」 「興味ない」 「そうだろうね」 父親は笑った。それが少し腹立たしかった。だから開いた。

最初の質問。

気がつくと、ついしてしまっていることは?

音を録る

次。

人から「それ何の意味があるの?」と言われることは?

使わない音を残すこと

次。

なくなると嫌なものは?

少し考えた。

なくなったことに誰も気づかないもの

次。

未来に残ってほしいものは?

長く考えた。好きな音ではなかった。きれいでも、有名でもない。毎日聞いているから、誰も聞こうとしない音だった。

普通すぎて、誰も録らないもの

と書いた。七つ目まで答えた。しばらくして、画面が変わった。

POSSIBLE WORLD 01

消えていく音を見つける

2042年。 街の音は、いまより静かになっているかもしれない。電気自動車。自動改札。無人店舗。AIアナウンス。機械は効率よく、静かになっていく。その途中で、誰も残そうとしなかった音も消えていく。商店街の呼び込み。学校のチャイム。古い冷蔵庫。踏切。紙をめくる音。ある地域でしか聞こえなかった鳥。

あなたは、まだあるうちに、その音を見つける人 になるかもしれません。

この仕事には、まだ名前がありません。

ミナは少しだけ、画面に近づいた。次。

POSSIBLE WORLD 02

「なくなった」を記録する

写真は、そこにあるものを記録する。でも未来では、なくなったものを観測すること そのものが重要になるかもしれない。昨日まで聞こえていた音。毎年咲いていた花。夕方になると集まっていた人。商店街の匂い。駅前にあったベンチ。

あなたは、「あるもの」ではなく、昨日と今日の差 を記録します。街の変化を知るための仕事になるかもしれません。

三つ目。

POSSIBLE WORLD 03

未来の人に、昔の「普通」を渡す

歴史には、大きな出来事が残る。戦争。災害。選挙。発明。ある時代を生きていた人が、毎朝どんな音を聞いていたかは、ほとんど残らない。

2042年。あなたが録った普通の一日が、百年後には貴重な記録になっているかもしれません。未来の誰かがイヤホンをつけます。そして、あなたが十三歳だった朝を聞きます。

この仕事にも、まだ名前はありません。

ミナは画面を閉じなかった。 「どう?」 父親が聞いた。 「知らない」 しばらくして、聞いた。 「百年前の駅の音って残ってる?」 「音?」 「うん」 父親は検索した。昔の映像はいくつも出てきた。白黒の駅。蒸気機関車。人。音のついているものもあった。ミナが聞きたいものとは違った。 「こういうんじゃなくて」 「どういうの」 「普通の日」 「普通の日?」 「何も起きてない日の音」 父親は少し考えた。 「それは少ないかもね」

何も起きていない日は、録る理由がない。だから残らない。

それからミナは、音に名前をつけるようになった。

0612_雨の朝_傘多い 0615_ホーム工事前 0617_改札横の店_最後の日 0621_セミ最初 0628_選挙前_駅前演説

上手な名前ではなかった。分類も適当だった。二十秒だったり、十二分だったりした。少しずつ増えていった。

夏休みの前、駅の構内に新しいポスターが貼られた。

駅構内リニューアルのお知らせ

秋から工事が始まる。ホームドアの設置。案内表示の更新。売店の改装。照明のLED化。安全で、明るく、便利になります。

ミナは読んだ。悪いことだとは思わなかった。ホームドアはあった方が安全だ。案内もわかりやすい方がいい。古いものを残せ、という話ではなかった。変わる前に、一度だけ全部録っておこうと思った。

土曜日。いつもより早く起きた。六時十二分、駅に着く。まだ人は少なかった。録音を始めた。改札。新聞を折る音。駅員の「おはようございます」。階段。自動販売機。売店のシャッター。ホーム。鳥。今年は、駅の反対側の木から聞こえていた。

電車が来た。ドアが開いた。閉まった。発車した。音が遠ざかる。一分くらい、何も起きなかった。ミナは録音を止めなかった。何も起きていない音も、入れておきたかった。

ホームの端で、誰かが咳をした。遠くで、自転車のブレーキが鳴った。風が吹いた。駅のスピーカーが、小さくノイズを出した。鳥が鳴いた。

家に帰って、保存した。いつもなら日付と場所を書く。その日は少し迷って、こう書いた。

0718_まだある駅

その下に、NOT YETで出てきた未来へのメモも残した。

なくなるものを止めたいわけじゃない。

少し考えて、もう一行。

なくなる前に、あったことを知っていたい。

秋になると、駅の工事が始まった。売店がなくなった。ホームの床が変わった。案内板も変わった。新しい駅は明るくて、使いやすかった。少しだけ、違う音がした。ミナは新しい駅も録った。

イヤホンで、七月十八日を聞く。改札。新聞。駅員。階段。売店。電車。風。鳥。ニュースも事件もなかった日だ。それでもその朝はあった。十三歳のミナが、六時十二分の駅に立っていた。

次の録音ボタンを押した。新しい駅の音が、小さな波形になっていった。

12人の物語を読んだあとで、今度は、あなたの「なんとなく気になること」から、まだ名前のない未来を探してみる。

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