ジャンルではなく、水脈で聴いていた
.
.
Kosuke Shirako
ずいぶんいろいろな音楽を聴いてきたと思う。
ロック、テクノ、渋谷系、歌謡曲、J-POP、フォーク、ヴィジュアル系、クラブミュージック。ある時期はUnderworldを聴きながら東京を歩いていたし、別の時期にはBLANKEY JET CITYの乾いた暴力性に惹かれていた。小沢健二やフリッパーズ・ギターの軽さも通ったし、aikoや星野源や木村カエラのポップスも聴いた。少女時代の「MR. TAXI」も、YOASOBIの「アイドル」も、杏里の「悲しみがとまらない」も、同じ耳の中に入っている。
こう並べると、ただの雑食に見える。でも最近になって思うのは、自分はジャンルを跨いで聴いていたのではなく、水脈をたどって聴いていたのではないか、ということだ。
ジャンルは、あとから貼られるラベルにすぎない。ロック、テクノ、J-POP、歌謡曲、フォーク、クラブミュージック——どれも便利な分類ではあるけれど、実際に身体が反応している場所は、それとは少しずれたところにある。
たとえば声の震えや、言葉になる前の気配。曲が始まった瞬間に街の見え方が変わること。サビに入る直前の、まだ何も決まっていない時間。明るい曲なのに底のほうに悲しみが流れていること。踊れる曲なのに、どこかに終わりの気配があること。ポップであればあるほど、消えてしまうものを抱えていること。たぶん自分が聴いていたのは、そういうものだった。
だからジャンルが違っても、同じ水脈に触れている曲がある。
Underworldの「Born Slippy」や「Pearl's Girl」にあるのは、都市の速度と孤独だ。クラブミュージックというより、夜の東京を歩くための身体感覚に近い。BLANKEY JET CITYには、壊れそうなものが壊れないまま走っている感じがある。暴力的なのにどこか繊細で、少年のまま大人になってしまったような青さがある。小沢健二や渋谷系にあるのは、引用と接続の軽やかさ。過去の音楽、本、映画、街、ファッションを、レコード棚から抜き出すように並べ替えていく——それは単なるおしゃれではなく、世界を再編集する技術だった。
aikoの「カブトムシ」には身体の奥に残る恋の温度があり、星野源の「恋」には日常の中で身体がふっと動き出すような解放がある。木村カエラの「Butterfly」は、祝福の形式になったポップスの強さを持っているし、少女時代の「MR. TAXI」にはアジアの都市を横断するスピードと記号性がある。YOASOBIの「アイドル」では、キャラクターも虚構も視線も欲望も、ひとつの眩しい表面として立ち上がる。
それぞれはまったく違う音楽に見える。それでも自分の中では、どこかでつながっている。身体、消えるもの、小さな声、青さ、飛躍、接続、都市、終わりの気配。そして、まだ名前のつかない感情。自分が追っていたのは、たぶんそういうものだ。
音楽を聴くというのは、好きなジャンルを選ぶことではなかった。自分がまだ言葉にできない何かに、先に触れてしまうことだった。
ある曲を聴いたとき、急に昔の道を思い出すことがある。その曲をその場所で聴いていたわけでもないのに、なぜか風景が立ち上がる。駅前の光、夜のコンビニ、夏の終わり、高速道路の高架下。誰かと別れたあとの空気。何かが始まりそうだったのに、結局始まらなかった時間。
音楽は記憶の保存装置ではない。むしろ、記憶になる前のものを保存している。だから何年も経ってから聴き直すと、当時の自分がそこにいる。写真のように鮮明な自分ではなく、もっと曖昧で、もっと身体に近い自分だ。まだ何者でもなかった自分、何かになろうとしていた自分、何かから逃げようとしていた自分。何かを諦めたふりをしながら、まだ諦めきれていなかった自分。そういう自分が、曲の中から少しだけ戻ってくる。
ジャンルで聴いていると音楽は整理される。でも水脈で聴いていると、整理されないどころか、勝手につながってしまう。Underworldから夜の東京へ、BLANKEYから少年性へ、渋谷系から引用文化へ、aikoから身体へ、星野源から生活へ、杏里からシティポップへ、少女時代から韓国の都市と競争社会へ、YOASOBIからキャラクターと虚構へ。そしてそれらはまた、自分の中の別の文章や記憶や風景へとつながっていく。
これは評論ではないし、音楽史でもない。正確なディスクガイドでもない。ただ、自分がどう聴いてきたのかを、あとから採取しているだけだ。
自分は音楽を、ジャンルではなく水脈で聴いていた。その水脈は、たぶん今も地下を流れている。ある日、古い曲を聴いたときに、急に何かが立ち上がる。懐かしさでも感傷でもなく、まだ終わっていなかった問いのようなものが。
自分は何を聴いていたのか。何に反応していたのか。なぜ、その曲だけが今も身体に残っているのか。
音楽シリーズの断章は、その問いを少しずつ掘っていくための場所になると思う。ジャンルではなく水脈で、分類ではなく匂いで、説明ではなく身体の反応で。そうやってもう一度、自分が聴いてきた音楽をたどってみたい。
© SHIRO & Co.
First published: 2026-05-29