最後の夏だったと、あとから気づく

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Kosuke Shirako

夏は、その最中には終わりが見えない。

暑い。だるい。夜になっても空気が重い。駅まで歩くだけで汗をかく。コンビニの冷房が妙に冷たい。誰かと会い、どこかへ行き、音楽が流れ、水を飲み、夜道を歩く。その時は、ただの夏だと思っている。でも、あとから気づくことがある。あれが、最後の夏だったのかもしれない。

So' Fly の「Last Summer」には、そういう感覚がある。曲は軽い。英語と日本語が混ざる。R&B の滑らかさがあり、クラブポップの明るさがある。東京の夜に似合う、少し浮いた軽さがある。重くない。深刻ではない。大げさに泣かせにこない。でも、タイトルは「Last Summer」だ。最後の夏。この言葉だけで、曲の中に影が差す。

夏は、ポップスにとって特別な季節だ。恋が始まり、どこかへ行き、夜が長く感じる。海や花火や街の光があり、身体が少し外へ開いていく。でも、夏は必ず終わる。むしろ、終わることまで含めて夏なのだと思う。秋や冬よりも、夏は終わりが強い。八月の終わり。夜風が少し変わり、コンビニの棚が変わり、街の音が少し落ち着く。帰り道に、もう戻れない感じが少しだけ混ざる。そのとき初めて、夏は時間だったのだと気づく。

「Last Summer」という言葉は、その時間にあとから名前をつける。その夏が最後だったことは、夏の最中にはわからない。最後の恋だった。最後に自由だった。最後に無邪気だった。最後に同じメンバーで集まった。最後にその街を歩いた。最後にその人と笑った。最後に、何も考えずに夜を過ごせた。でも、その時はわからない。ただ楽しい。ただ暑い。ただ眠い。ただ曲が鳴っている。そして、時間が経ってから、あれは最後だったのだと気づく。ここが切ない。

「Last Summer」は、明るい曲として聴ける。でも、明るいからこそ、あとからの喪失がある。最初から悲しい曲なら、悲しみはわかりやすい。けれど、軽い曲の中にあとから戻ってくる悲しみは、もっと身体に残ることがある。あの時、楽しかった。でも、もう戻れない。この感覚。

So' Fly の音には、2000年代の東京の夜の軽さがある気がする。重いロックでも、内省的なフォークでも、渋谷系の引用遊びとも少し違う。もっと滑らかで、少しクラブ寄りで、英語と日本語が自然に混ざっていて、夜の街を軽く流れていく。そこには、深刻になりすぎない都市の感覚がある。おしゃれで、少し浮かれていて、少しだけ寂しい。カフェ、バー、クラブ、タクシー、終電前の駅、携帯電話の光、夏の夜の湿度、誰かの香水、帰り道のコンビニ。そういうものが、曲の背景にある。

でも、その軽さは、軽薄さとは違う。軽いからこそ、残るものがある。人は本当に大事な時間を、いつも深刻な顔で過ごしているわけではない。むしろ、大事だった時間ほど、その最中には軽い。笑っている。ふざけている。たいした話をしていない。何を食べたかも覚えていない。どこを歩いたかも曖昧。でも、空気だけが残っている。あとから、その軽さが胸に来る。もう一度あの夏に戻りたい、というより、あの夏が最後だったことを、その時の自分は知らなかったのだ、と思う。それが切ない。

「Last Summer」という言葉は、過去形の夏だ。今いる夏ではない。これから来る夏でもない。すでに終わった夏。でも、完全に消えたわけではない。曲を聴くと戻ってくる。夏は終わったのに、音の中ではまだ少し残っている。

ポップソングには、そういう力がある。季節を保存するのではない。季節が消えたことを、あとから聴かせる。写真よりも曖昧で、映像よりも不確かで、でも身体の奥に残る。

この曲を聴くと、英語と日本語が混ざる感じも大事だと思う。日本語だけだと、感情が近すぎることがある。英語だけだと、少し遠くなる。でも、英語と日本語が交差すると、都市の夜の距離感が出る。近いようで遠い。親密なようで、少し演じている。本気のようで、少し照れている。悲しいようで、踊れる。東京のポップスには、こういう距離感がある。全部を日本語で言い切らない。全部を英語で逃がすわけでもない。その間で、感情を少し浮かせる。「Last Summer」の軽さは、その浮かび方にある。

夏の記憶も、少し浮いている。はっきり覚えているわけではない。でも、完全には消えていない。誰といたのか。どこにいたのか。何を話したのか。細かいことは曖昧でも、その夜の感じだけが残っている。音楽は、その曖昧さを許してくれる。むしろ、曖昧なまま残すことができる。日記なら、言葉にしなければならない。写真なら、画面に写ったものだけが残る。でも、音楽は、写っていないものまで戻してしまう。夜の湿度。歩いていた身体。誰かとの距離。言わなかった言葉。終わりが近づいていたのに気づかなかった感じ。そういうものが戻ってくる。

最後の夏だったと、あとから気づく。これは、夏だけの話ではない。人生には、あとからしかわからない「最後」がたくさんある。最後に会った日。最後に通った道。最後に働いた場所。最後に聴いた声。最後に一緒に笑った夜。最後に何も考えずに過ごせた季節。でも、その時にはわからない。だから人は、たいてい普通に過ごしてしまう。もっと大事にすればよかった、と思う。でも、大事にしようと意識した瞬間、その時間はもう少し違うものになる。だから、最後の時間は、最後だと知らないまま過ぎるしかないのかもしれない。

「Last Summer」は、その残酷さを、軽い音で包んでいる。泣かせにこない。説明しない。ただ、夏の夜のポップソングとして流れる。でも、タイトルだけが、あとから効いてくる。Last Summer。あれは、最後だった。そう気づいた瞬間、軽かった曲が、少しだけ重くなる。そして、その重さは悪くない。

記憶は、いつもあとから意味を持つ。その時はただの夜だった。ただの曲だった。ただの夏だった。でも、身体が時間を通過したあとで、同じ曲を聴くと、別の意味になる。曲が変わったのではない。聴いている身体が、変わったのだ。

So' Fly「Last Summer」は、そのことを思い出させる。夏は、終わってから夏になる。最後の夏も、終わってから最後になる。そして音楽は、終わったものを、もう一度こちらに近づける。完全には戻らない。でも、少しだけ戻ってくる。あの夜の軽さ。あの街の湿度。あの頃の自分。最後だったことを、まだ知らなかった身体。それらが、曲の中で少しだけ光る。

夏は終わる。でも、終わった夏だけが、あとから何度も戻ってくる。


© SHIRO & Co.

First published: 2026-06-10