働かなくていいのに、働きたい人がいる
働かなくてもいい。それでも働きたい。
この言葉は、少し不思議に聞こえる。
仕事は、生活費を得るためのもの。雇用は、収入のためのもの。老後は、働かなくてよくなる時間——そう考えれば、働かなくてもいい状況で働きたいという気持ちは、余分なものに見えるかもしれない。
けれど、70代の人たちが「それでも働きたい」と答えている。理由は、必ずしもお金だけではない。
健康を維持したい。生活リズムを作りたい。時間を有効に使いたい。社会とつながっていたい。孤独感から解放されたい——働くことは、収入の手段である前に、生活の中にリズムを作るものでもある。
ここに、まだ名前のないずれがある。
高齢期の働き方は、しばしば二つの言葉で語られる。人手不足を補う。老後資金を稼ぐ。もちろん、それは現実である。企業には人が足りない。年金だけでは不安がある。生活費のために働く人もいる。
けれど、それだけでは説明できない働き方がある。
家にいても、やることがない。誰とも話さない日がある。身体を動かさないと、少しずつ弱っていく。誰かに必要とされる感覚が薄れていく——そのとき、働くことは、労働ではなく、社会との接続になる。
高齢者向けの求人を増やせばよい、という話ではない。
必要なのは、働く/働かないの二択ではなく、生活の中にどのような参加の形を置くかという設計である。
Life Engagement Protocol——生活参加プロトコル。
それは、高齢期の仕事を、雇用や収入だけで扱わないための仕組みである。
何のために働きたいのか。どのくらいなら無理なく続けられるのか。どんな時間帯なら生活リズムを整えられるのか。誰と会うことで、孤独が少しやわらぐのか。どの役割なら、責任が重すぎず、尊厳も失われないのか。やめるときに、どうすれば傷つかずに離れられるのか——こうした判断は、通常の求人票には載りにくい。
時給。勤務地。勤務時間。仕事内容。応募条件——それらは必要である。でも、高齢期に働く理由は、求人票の項目だけでは読み取れない。
ある人にとっては、週に数回の短い仕事が、生活の柱になる。ある人にとっては、レジで交わす短い会話が、社会との接点になる。ある人にとっては、朝に出かける理由が、身体を保つ支えになる。
これは、単なるシニア雇用ではない。長寿社会における、役割の再設計である。
だから、急いで製品化しない方がいい。早く仕組みにすると、またシニア人材マッチングになる。高齢者向け求人サービスになる。健康管理アプリと連動した就業支援になる。
もちろん、それらも必要ではある。でも、それだけでは足りない。
本当に必要なのは、高齢者を労働力として使うことではない。働きたいという気持ちの奥にある、生活のリズム、孤独、役割、身体、尊厳を、同じ場で扱うことである。
市場は、たぶんその後に生まれる。いまはまだ、HOLDでいい。
まずは、働かなくてもいいのに働きたい人が、何を得るために職場へ向かっているのかを聞くことから始めればいい。
それは給料だけではない。誰かの毎日の中で、まだ社会とつながっていたいという、静かな願いなのだと思う。
SHIRO & Co.
Published - 20260629