IPは作品から、人と関係へ移った
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— HYBE JAPANと飯島三智が示す、J-POP再設計の始まり—
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Kosuke Shirako
IPという言葉が、少し前までよりもずっと広い意味で使われるようになっている。
かつてIPといえば、作品だった。漫画、アニメ、映画、楽曲、キャラクター、ゲーム、原作。つまり、著作権で守られ、商品化でき、二次展開できる「作品」や「キャラクター」のことだった。
けれど、いま起きていることを見ると、IPの中心は少しずつ移動している。
作品から、人へ。人から、関係へ。関係から、ファンダムへ。ファンダムから、長く記憶される生活の時間へ。
HYBE JAPANが、元SMAPのチーフマネジャーであり、CULEN代表でもある飯島三智をJ-POPエグゼクティブプロデューサーに迎えたというニュースは、その変化を象徴している。
これは、単に「有名プロデューサーがHYBEに参加した」という話ではない。HYBEが、日本のJ-POPをひとつの巨大なIP開発市場として見ている、ということだと思う。
そして、飯島三智が持っているものは、単なる芸能マネジメントの経験ではない。彼女が持っているのは、アーティストを「作品」ではなく、「時間」として育てる力である。
SMAPは、曲だけのIPではなかった
SMAPとは何だったのか。
もちろん楽曲があった。コンサートがあった。テレビ番組があった。ドラマがあった。CMがあった。映画があった。バラエティがあった。
けれど、SMAPという存在は、そのどれか一つでは説明できない。
SMAPは、音楽グループでありながら、テレビの中で日常的に会える存在だった。アイドルでありながら、コントもやる。俳優でもあり、司会者でもあり、広告の顔でもあり、時には社会的な空気そのものを映す存在でもあった。
つまりSMAPは、楽曲IPではなかった。番組IPでもなかった。キャラクターIPでもなかった。
SMAPは、関係性のIPだった。
メンバー同士の関係。ファンとの関係。テレビの視聴者との関係。企業広告との関係。時代の空気との関係。それらが長い時間をかけて積み重なり、ひとつの巨大な記憶になっていた。
だから、SMAPを「曲」や「出演番組」だけで切り出しても、本体には届かない。本体は、人と人のあいだにあった。画面の中の時間と、視聴者の生活時間のあいだにあった。
そこに飯島三智のプロデュースの本質があったのだと思う。
HYBEが欲しいのは、J-POPの曲ではない
HYBEは、K-POPの世界展開で圧倒的な成功を収めてきた。音楽、ダンス、映像、SNS、ファンダム、グッズ、プラットフォーム、グローバル配信。その全体を統合し、アーティストを世界展開可能なIPとして設計する力を持っている。
だからHYBEにとって、日本市場は単なる販売先ではない。日本は、独自の芸能文化を持つIPの鉱脈である。
日本には、テレビが作ってきた長い時間がある。バラエティが作ってきた親密さがある。ドラマが作ってきた記憶がある。CMが作ってきた国民的イメージがある。映画、舞台、ラジオ、雑誌、ファンクラブ、街のポスターまで含めた、複雑なメディア横断文化がある。
K-POPが強いのは、世界へ向けた完成度と運営力だ。日本の芸能が持ってきた強さは、生活の中に長く入り込む力だった。
毎週テレビで見る。なんとなく家族で知っている。曲を全部知らなくても、顔と声と空気は知っている。ファンでなくても、人生のどこかにその人たちの記憶がある。
この「生活時間に入り込むIP」は、日本の芸能が長く作ってきたものだ。
HYBEが飯島三智を迎える意味は、J-POPの楽曲制作だけではない。日本の芸能が持っていた、人格型IP、関係型IP、ファンダム型IP、記憶型IPを、グローバル展開できる形に再設計することだと思う。
ファンダムは、次の知的財産である
飯島三智のコメントの中で、もっとも重要なのは「ファンダムにこそ未来がある」という部分だと思う。これは、いまのエンターテインメント産業の変化をとてもよく表している。
かつて、芸能ビジネスの中心はマスメディアだった。テレビに出る。雑誌に載る。音楽番組に出る。ドラマに出る。CMに出る。多くの人に一斉に届くことが価値だった。
けれど、いまは違う。
多くの人に一瞬届くことよりも、少数でも深く長く関係し続けることの方が価値になる。一回の視聴率より、継続的な接触。一曲のヒットより、物語への参加。一時的な話題より、ファンの記憶に残ること。
ファンダムとは、単なる消費者の集まりではない。それは、作品やアーティストを支え、解釈し、拡散し、守り、時に批評し、次の展開を可能にする関係資本である。
だから、これからのIPは、作品単体では完結しない。
作品があり、人がいて、その人の物語があり、ファンがいて、ファン同士の関係があり、それを支えるプラットフォームがあり、それらが長期的に運営されることで、IPになる。
ファンダムは、もはやマーケティングの結果ではない。ファンダムそのものが、IPの中核になっている。
IPは、著作権だけでは守れない
ここで少し厄介なのは、IPという言葉が、法律上の知的財産よりも広くなっていることだ。
法律上のIPは、著作権、商標、特許、意匠、営業秘密などとして整理される。もちろん、それは重要だ。契約も必要だし、権利処理も必要だし、誰が何を所有するのかは明確にしなければならない。
しかし、いま価値を生んでいるものの多くは、法律上の権利だけでは説明しきれない。
たとえば、あるアーティストが持つ人格的魅力。ファンとの信頼関係。プロデューサーが作った文脈。メディアを横断する展開力。この人なら面白いことを起こしてくれる、という外部からの期待。長年の仕事で積み上がった信用。
これらは、簡単には著作権に還元できない。けれど、事業価値の中心にある。
むしろ、これからの争点はここになる。
誰がその関係を作ったのか。誰がその文脈を設計したのか。誰の信用によって、その機会は成立したのか。誰の名前が、そのプロジェクトに意味を与えたのか。
作品だけを見ていては、IPの本体を見失う。
J-POP再設計の始まり
J-POPは長い間、国内市場の中で独自に発展してきた。
テレビ、レコード会社、芸能事務所、広告代理店、出版社、映画会社。それぞれの業界が複雑に絡みながら、スターを作り、番組を作り、時代の空気を作ってきた。
その仕組みは強かった。けれど、グローバル展開には必ずしも向いていなかった。
一方で、K-POPは最初から世界展開を前提に設計されてきた。練習生制度、映像美、SNS運営、多言語展開、ファンダムプラットフォーム、グッズ、ライブ、配信。そこには、明確なシステムがある。
今回のHYBE JAPANと飯島三智の組み合わせは、この二つを接続しようとしているように見える。
日本芸能の「人間味」と、HYBEの「グローバル運営力」。日本のテレビ文化が作ってきた「親密さ」と、K-POPが作ってきた「ファンダム設計」。J-POPの情緒と、プラットフォーム企業としてのHYBEのインフラ。
ここで生まれるものは、従来のJ-POPでも、単なるK-POPの日本版でもない。おそらく、日本発の新しい人格型IPである。
音楽だけではない。映像だけではない。テレビだけではない。SNSだけでもない。人と関係と物語を、複数のメディアにまたがって育てるIP。それが、これからのJ-POPの再設計になる。
人が作るIPの時代
IPという言葉は、冷たい。権利、資産、所有、ライセンス、収益化。そういう言葉と一緒に語られることが多い。
でも本当は、IPの根っこには、人がいる。
作品を作る人。人を見つける人。関係を育てる人。ファンと向き合う人。まだ名前のない可能性に、形を与える人。
飯島三智が象徴しているのは、まさにそこだと思う。彼女は、曲だけを作ってきたわけではない。タレントだけを管理してきたわけでもない。人が長く愛されるための文脈を作ってきた。
それは、作品よりも曖昧で、契約書よりも柔らかく、数字よりも見えにくい。けれど、エンターテインメントにおいては、もっとも重要な資産である。
IPは、作品から人へ移った。そして、人から関係へ移った。
HYBE JAPANと飯島三智のニュースは、その変化をはっきり見せている。
これからのJ-POPで問われるのは、誰が曲を作るかだけではない。誰が人を見つけ、誰が関係を育て、誰がファンダムを信じ、誰が長く記憶される時間を設計するのか。
IPとは、もはや作品の所有ではない。人と関係が、未来に向けて運営される仕組みである。
そして、その仕組みを作れる人こそが、これからのエンターテインメント産業で最も重要な存在になっていく。
© SHIRO & Co.
First published: 2026-07-07