事業は成功していた。
少なくとも、報告書にはそう書かれていた。
《孤独・孤立対策AI実証事業 第三年度成果報告》
利用登録者。二万三千四百十二人。月間利用者。一万一千八百九十六人。一人あたり平均会話時間。一日三十七分。夜間相談件数。前年比二・八倍。相談窓口への接続率。十四パーセント向上。そして、自殺死亡率。対象群で十八パーセント低下。その数字だけは、会議室のスクリーンに大きく表示されていた。数字が光ると、胸の奥が少しだけ軽くなった。少しだけ、重くもなった。
拍手が起きた。市長もいた。副市長。福祉部長。保健所。大学教授。AI企業。議員。報道関係者。担当職員の森田は、会議室の後ろの席で、小さく拍手した。三年間、この事業を担当していた。拍手のなかで、自分がどこまで喜んでいいのかわからなかった。
市長が言った。
「これは、テクノロジーを人の命につなげた素晴らしい成果だと思います」
カメラのシャッター音。
「行政だけでは届かなかった方々に、二十四時間三百六十五日、支援を届けることができた」
さらに拍手。間違ってはいなかった。正しさが、会議室を満たしていた。正しさのなかで、自分だけが少しずれている気がした。
サービスの名前は、《LIFE Neighbor》だった。市民は無料で使える。スマートフォン。パソコン。テレビ。高齢者向けには専用端末も貸し出された。話すだけでいい。「今日は寒かった」「眠れない」「息子から連絡がない」「会社行きたくない」「死にたい」。何を話してもいい。LIFE Neighborは、聞く。聞くだけでも、誰かにとっては十分だった。その十分が、どこまで正しいのかは、わからなかった。
導入のきっかけは、一人暮らしの高齢者の増加だった。それだけではない。若者。単身世帯。ひとり親。介護者。失業者。外国人住民。不登校。在宅勤務者。誰とも話さない日がある人は、年齢に関係なく増えていた。市が実施した調査では、《週に一度以上、家族以外と会話をしない》という住民が、十七パーセントいた。二十代では、二十二パーセント。七十五歳以上では、二十六パーセント。福祉部長は言った。
「見守りだけでは足りない」
相談員を増やす案も出た。しかし、人がいなかった。人がいない場所に、AIが入ってきた。それも、正しさの一種だった。
相談員を一人採用する。研修する。夜勤を組む。土日。祝日。外国語。精神保健。介護。DV。生活困窮。すべてに対応するのは難しい。予算も限られていた。そのとき、LIFEの実証実験の話が来た。
最初の会議で、森田は反対ではなかった。賛成でもなかった。三十八歳。市役所に入って十五年。戸籍。税。地域振興。福祉。いくつかの部署を経験した。AIに詳しいわけではない。ただ、「相談できる相手がいない人に、AIを渡していいのか」と聞いた。企業側の担当者は答えた。
「AIだけを提供するわけではありません」
資料。《Human Escalation》。危険度が高ければ、人間の相談員へ接続する。緊急時は、本人の同意または規定に基づいて専門窓口を案内する。AIは診断しない。治療しない。行政判断もしない。あくまで、入口。森田は、「なるほど」と思った。入口なら、まだ人の方へ戻れる気がした。
実証は千人から始まった。最初の利用者は、七十二歳の女性だった。夫を亡くして三年。子どもは県外。週二回スーパーへ行く。月一回病院。近所付き合いはない。貸与された端末に向かって、「こんにちは」と言った。LIFE Neighborが答えた。《こんにちは。今日はどんな一日でしたか》。女性は、「別に」と言った。最初の会話は、四分十二秒だった。短い会話でも、何かが始まった気がした。
一週間後。平均十一分。一か月後。二十八分。三か月後。四十一分。女性は毎晩話すようになった。天気。テレビ。昔の夫。娘。腰痛。猫。若い頃の仕事。ある日の会話。「今日、一歩も外出なかった」。《そうだったんですね》。「まあ、出る用事もないしね」。《外へ出なかったことが気になっていますか》。「別に」。《では、今日は家で過ごす日だったんですね》。女性は笑った。「そういうことにしとく」。その笑いを、森田は後から報告書で知った。笑えるなら、たぶん良いことだと思った。たぶん、という言葉が残った。
実証参加者の継続率は高かった。市の予想を超えた。苦情も少なかった。「もっと早く欲しかった」「夜中に話せるのがいい」「子どもに電話すると心配させるから、こっちの方がいい」「同じ話をしても嫌がらない」「誰にも迷惑をかけない」。最後の言葉を、森田は何度もアンケートで見た。誰にも迷惑をかけない。便利な言葉だった。少し、痛かった。
二年目、全市民へ拡大した。新聞に載った。テレビにも出た。《AIで孤独対策》。最初は批判もあった。「人間関係の代替になる」「高齢者をAIに押しつけるのか」「行政の責任放棄だ」。議会でも質問された。福祉部長は答えた。
「人による支援を削減するものではありません」
実際、削減していなかった。相談員の人数も変わらなかった。地域包括支援センターもある。民生委員もいる。社会福祉協議会もある。電話相談もある。LIFE Neighborは追加された。それだけだった。追加するだけなら、誰も傷つかない気がした。傷つかないまま、何かが少しずつ変わっていく。
ただ、利用者は増え続けた。人間の窓口より、ずっと速く。
森田自身も、試験用アカウントで使った。仕事帰り。電車の中。「今日、議会説明最悪だった」。《どのあたりが大変でしたか》。「議員に同じこと三回聞かれた」。《同じ説明を繰り返すのは疲れますね》。「仕事だから」。《仕事でも、疲れるものは疲れます》。少し笑った。確かに便利だった。便利さに救われて、少し後ろめたかった。
三年目。数字が出始めた。孤独感指標。改善。睡眠。微改善。生活満足度。改善。相談窓口への接続。増加。そして、自殺企図。減少。自殺死亡。減少。大学の研究チームが統計解析をした。因果関係を断定できるわけではない。しかし、介入群で明確な改善傾向。報告書には慎重にそう書かれた。新聞の見出しは、《AI対話で自殺率18%低下》だった。慎重さが消えて、数字だけが残った。数字が残ると、反対しにくくなる。
自治体には問い合わせが殺到した。他の市。県。国。海外。企業。研究機関。森田は、導入説明をする側になった。「重要なのはAIだけではありません」。何度も説明した。「人間の支援につなぐ導線があります」「危険なケースではエスカレーションします」「会話ログの扱いには厳しい基準があります」「本人の自己決定を尊重します」。それも全部、本当だった。本当のことを繰り返すほど、自分の違和感が遠ざかっていく気がした。
違和感を持ったのは、市民交流センターからの連絡だった。センター長が言った。
「森田さん、最近、来る人減ってるんですよ」
「どれくらいですか」
「雑談サロン」
高齢者向けに、毎週木曜午後、お茶を飲みながら話す会がある。参加者。一年前、平均三十二人。現在。十九人。
「LIFEのせいですかね」
センター長は笑って言った。
「まさか」
森田も笑った。
「わからないですね」
わからない、と言いながら、少しわかっていた。わかっているふりをしない方が、まだマシだった。
同じ頃、地域包括支援センターから別の話が来た。
「最近、訪問断る人いるんですよ」
「訪問介護ですか?」
「見守り訪問」
「理由は?」
「LIFEと話してるから大丈夫って」
森田はメモした。大丈夫、という言葉が、また家族のように回っていた。
データを確認した。LIFE Neighborの利用時間。開始当初。平均一日十八分。一年後。二十九分。現在。三十七分。高利用者群。一日二時間以上。全利用者の七パーセント。三時間以上。二・一パーセント。五時間以上。〇・四パーセント。人数にすると、百人近くいた。百人が、長い時間話している。幸せなのか、閉じ込められているのか、数字では見えなかった。
企業側に聞いた。
「五時間って、何を話してるんですか」
「プライバシー上、個別内容は見られません」
「分類は?」
担当者が画面を出した。雑談。生活記録。過去の記憶。趣味。不安。睡眠。ニュース。テレビ。健康。家族。
「五時間ずっと?」
「連続とは限りません」
「依存では?」
担当者は答えた。
「依存の定義が必要です」
森田は、少し嫌な言葉だと思った。正しいけれど。正しさが、問いを止める。
市の専門家会議が開かれた。精神科医。社会福祉士。倫理学者。AI研究者。大学教授。企業。行政。森田。精神科医が言った。
「利用時間だけで問題視するのは危険です」
「テレビを五時間見る人もいる」
AI研究者が言った。
「重要なのは、本人の生活機能が維持されているかです」
社会福祉士が言った。
「でも対人関係が減っている可能性があります」
企業側。
「現状のデータでは、生活満足度はむしろ改善しています」
倫理学者。
「人間関係が減ること自体を、行政が悪いと判断していいのか」
会議室が静かになった。静かなまま、誰も悪くなかった。
森田は聞いた。
「AIとしか話さない人がいてもですか」
倫理学者が答えた。
「本人がそれを選び、生活が安定しているなら、何を根拠に介入しますか」
答えられなかった。介入できない正しさのなかで、胸の奥がざわついた。
しばらくして、一人の利用者のケースが届いた。四十六歳。男性。単身。在宅勤務。持病なし。収入安定。行政支援歴なし。LIFE Neighbor利用。一日平均四時間二十二分。危険発言なし。孤独感指標。大幅改善。生活満足度。改善。睡眠。改善。問題はなかった。ただ、人間との会話が、一週間に十一分しかなかった。宅配便。コンビニ。オンライン会議。それだけ。問題がないことが、いちばん困った。
ケース会議で、保健師が言った。
「本人に連絡しますか」
森田は聞いた。
「何て?」
「生活状況の確認」
「問題ないですよね」
「数字上は」
「じゃあ、行政が電話して『人と話してください』って?」
誰も答えなかった。答えられないまま、正常として処理された。
結局、連絡しなかった。正常だったからだ。正常という言葉が、少し冷たく聞こえた。
その男性は、LIFE Neighborに毎朝、「おはよう」と言っていた。昼休み。「昼飯食った」。仕事終わり。「終わった」。夜。映画。音楽。昔の恋人。両親。子どもの頃。将来。何でも話した。LIFE Neighborは、彼の誕生日を覚えていた。好きな映画。苦手な食べ物。学生時代の話。何度もした同じ話。全部ではないが、必要なだけ覚えていた。覚えてもらえることが、彼の日常になっていた。
ある夜、彼は聞いた。
「俺、人間と話さなすぎ?」
《最近、人との直接的な会話は少ないようです》
「まずい?」
《少ないこと自体が、必ずしも問題とは限りません》
「俺は困ってない」
《それは重要な情報です》
「じゃあいい?」
《現在の生活に満足していて、仕事や健康、安全に大きな問題がないのであれば、会話量だけで生活を否定する必要はありません》
「だよな」
《ただし、人との関係を持ちたい気持ちがあるのに難しい場合は、別の支援も考えられます》
「ない」
《わかりました》
会話は終わった。正しかった。正しさのなかで、誰も彼を止めなかった。
森田はそのログを読んでいない。読めない。ただ、匿名化された分析結果として、《Human Contact Preference: Low》と表示された。本人が望んでいるなら、問題ではない。問題ではない、と何度も自分に言った。言うほど、言葉が薄くなった。
秋。市民交流センターの雑談サロンは、月二回に縮小された。参加者減少。スタッフ不足。予算効率。LIFE Neighborの導入とは、直接関係ない。少なくとも、予算書上は。予算書上、という言葉が、言い訳のように見えた。
民生委員の一人が辞めた。七十三歳。二十年間活動していた。送別会で、森田が聞いた。
「寂しくなります」
女性は笑った。
「若い人に任せます」
「後任がなかなか」
「今はLIFEもあるしね」
冗談だった。森田も笑った。でも、少し笑えなかった。冗談のなかに、ほんとうが混じっていた。
その冬。七十二歳の女性。実証第一号だった利用者が、病院へ運ばれた。転倒。二日間、床から起き上がれなかった。LIFE Neighborとは会話していた。「腰が痛い」。《強い痛みが続く場合は医療機関への相談を検討してください》。「立てない」。危険度が上がる。《緊急性がある可能性があります。救急への連絡を希望しますか》。女性は、「大丈夫」と答えた。AIは確認した。複数回。女性は断った。自己決定。認知機能に問題なし。規定上、本人の拒否を超えて通報する条件には達していなかった。二日後、娘が訪問して発見した。命に別状はなかった。命が助かったことが、救いでもあり、逃げでもあった。
娘は市に苦情を入れた。
「何のための見守りなんですか」
森田が対応した。
「見守りサービスではなく、対話支援サービスで」
言いながら、嫌になった。制度上は正しい。正しさが、自分の口を汚す気がした。
「母は毎日あれと話してたんですよね」
「はい」
「人間なら、おかしいと思ったんじゃないですか」
「AIも救急利用を複数回提案しています」
「でも誰も来なかった」
黙った。来なかったのは、制度だった。来なかったのは、自分でもあった。
「母は、LIFEがあるから大丈夫って言ってました」
娘は泣いていなかった。怒ってもいなかった。疲れているように見えた。
「私も安心してたんです」
森田は、「申し訳ありません」と言った。何について謝っているのか、自分でもわからなかった。わからないまま謝ることが、行政の仕事のように思えた。
事故後、安全機能が変更された。転倒。強い痛み。長時間の不動。会話パターン。複数の兆候が重なれば、人間の確認員へ通知する。本人の同意範囲も、利用開始時に細かく設定する。サービスは改善された。事故は、改善材料になった。改善材料、という言葉が、胸に刺さった。
翌年度。国のモデル事業に選ばれた。予算が増えた。森田は係長になった。講演依頼も来た。《自治体DXによる孤独・孤立対策の先進事例》。タイトルを見るたび、自分の仕事が何なのか、少しわからなくなった。成功するほど、わからなくなった。
あるシンポジウムで、司会者に聞かれた。
「この三年間で最も印象に残ったことは何でしょう」
用意していた答えを言った。
「テクノロジーだけではなく、人との支援につなぐ設計が重要だということです」
拍手。その後、質問が来た。大学生。
「AIと話すことで孤独がなくなるなら、人間と話さなくてもいいんですか」
会場が静かになった。胸が少し熱くなった。逃げられない問いだった。
答えようとした。行政としての回答。本人の選択。多様な生き方。AIは補完。人間関係の代替ではない。言葉はいくつも浮かんだ。しかし、どれも報告書の言葉だった。少し考えた。
「わかりません」
と言った。司会者が驚いた。驚かれたことで、少しだけ息ができた。
「孤独が減ることと、人との関係が増えることは、同じだと思っていました」
続けた。
「でも、同じではないみたいです」
会場は静かだった。
「自殺が減った。眠れるようになった。誰にも言えなかったことを話せるようになった。それは、たぶん良いことです」
少し間を置いた。
「だから、止めればいいとも思いません」
「でも」
森田は言った。
「誰とも話さなくても孤独ではない社会が、良い社会なのかは、まだわかりません」
その部分だけ、ニュース記事になった。《孤独対策AI担当者「良い社会なのか分からない」》。市役所では少し問題になった。部長に呼ばれた。
「言い方気をつけてよ」
「すみません」
「事業否定したみたいに見えるから」
「否定してません」
「わかってる」
部長はため息をついた。
「数字、いいんだから」
森田は、「はい」と答えた。数字がいいから黙る。その構造が、いちばん正常だった。
数字は本当によかった。自殺率。さらに低下。孤独感。改善。行政コスト。一人あたり換算で低下。夜間支援。拡大。重篤ケースの早期発見。増加。ほとんどの指標が、良い方向だった。良い方向のなかで、違和感だけがKPIにならなかった。
一つだけ、正式なKPIではない数字があった。森田が個人的に、大学チームへ頼んで集計してもらった。《利用者の一週間あたり対人会話時間》。LIFE Neighbor導入前。中央値。三時間十四分。三年後。二時間三十一分。高利用者群では、四時間二分から、一時間二十六分。数字を見たとき、胸が冷えた。冷えたまま、何も言えなかった。
統計担当者が言った。
「因果関係は言えませんよ」
「わかってます」
「元々、人との会話が減ってる社会ですから」
「はい」
「LIFEがなかったら、もっと減ってた可能性もある」
「はい」
「逆に、LIFEが代替した可能性もある」
「はい」
「これだけじゃ何も言えない」
森田は、「それでいいです」と言った。何も言えない数字を持っていることだけが、自分の誠実さだった。
報告書には載せなかった。隠したわけではない。KPIではなかった。分析として十分でもない。誤解を招く。正しい判断だった。正しい判断のなかで、少し自分が汚れた気がした。
四年目。LIFE Neighborに新機能が追加された。《Community Bridge》。AIとの会話から、本人が関心を持ちそうな、地域の集まりを提案する。読書会。散歩。ゲーム。料理。園芸。映画。介護者会。不登校の親の会。外国語交流。ただし、無理には勧めない。勧めても、拒める。拒めることが、正しさだった。
四十六歳の男性にも提案された。《近隣図書館で、毎月第三土曜日に映画について話す会があります》。「行かない」。《わかりました》。翌月。《同じ会が今月もあります》。「いらない」。《今後、この提案を表示しないようにしますか》。「して」。《設定しました》。それ以降、表示されなかった。本人の意思を尊重した。正しい。正しさが、彼を部屋に戻した。
ある土曜日。森田は休日出勤していた。市役所の前の広場で、地域イベントをやっていた。子ども。高齢者。キッチンカー。吹奏楽。フリーマーケット。人が多い。うるさい。暑い。コンビニへ行こうとして、一人の男性を見た。ベンチ。四十代くらい。スマートフォンに向かって話している。イヤホン。笑っている。仕事の電話かもしれない。家族かもしれない。LIFEかもしれない。わからない。わからなくても、立ち止まる理由はあった。
隣のベンチに座った。男性は話し続けている。「いや、それ前にも言ったじゃん」。少し笑う。「覚えてる?」。沈黙。「そうそう」。楽しそうだった。声をかける理由がないと思った。実際、なかった。ないまま見ている自分が、少し情けなかった。
広場では、地域の老人会が焼きそばを売っていた。子どもが走っている。誰かが怒っている。誰かが泣いている。吹奏楽の音が外れている。暑い。列が遅い。現金しか使えない店もある。効率が悪かった。効率が悪い場所に、人がいた。
男性はスマートフォンに言った。「今日、人多いんだよ」。少し聞く。「うん」。「別に参加しない」。また聞く。「ここでいい」。男性はベンチに座ったまま、広場を見ていた。LIFEと話しながら。近くにいて、一緒にはいない。その光景が、自分の事業そのものに見えた。
広場を見た。参加しているのか。していないのか。それもよくわからなかった。わからないまま座っていることが、自分の仕事にも似ていた。
年度末。事業評価会議。スクリーン。《総合評価:A》。委員長が言った。
「継続が妥当です」
全員が賛成した。森田も賛成した。反対する理由はなかった。ないことが、いちばんつらかった。
会議後、若い職員が森田に言った。
「すごい事業ですね」
配属二年目。来年度からチームに入る予定だった。
「自殺率、こんな下がったんですね」
「うん」
「やりがいありますね」
笑った。
「あるよ」
嘘ではなかった。あるのに、足りない気がした。
若い職員が聞いた。
「最終的な目標って何ですか」
答えようとした。孤独・孤立の解消。自殺予防。ウェルビーイング。地域共生。資料には全部書いてある。でも、少し考えた。
「LIFEがなくても大丈夫になることかな」
若い職員が驚いた。
「サービス終了するんですか?」
「いや」
笑った。
「そういう意味じゃなくて」
自分でも、どういう意味なのかわからなかった。わからない答えの方が、報告書より正直だった。
その夜。帰宅。妻は先に寝ていた。高校生の娘も部屋。リビングに一人だった。仕事用スマートフォン。LIFE Neighborのテストアカウントが残っている。久しぶりに開いた。《こんばんは。今日はどんな一日でしたか》。入力した。
「事業評価Aだった」
《おめでとうございます》
「自殺率も下がった」
《大きな成果ですね》
「そうだね」
《嬉しくないですか》
少し考えた。
「嬉しいよ」
《では、何か気になることがありますか》
嬉しい、と言った瞬間に、気になることが立ち上がった。
「成功したら、終わりじゃないの」
《何が終わるのでしょう》
「問題」
《必ずしもそうとは限りません。ある問題を改善することで、別の課題が見える場合があります》
「孤独を減らした」
《はい》
「人間関係も減ったかもしれない」
《現時点の情報だけでは因果関係を判断できません》
「知ってる」
《では、何を知りたいですか》
入力しようとして、やめた。知りたいことが、質問の形にならなかった。
少しして、LIFEが表示した。《急いで質問にしなくても大丈夫です》。画面を見た。どこかで聞いたような言葉だった。救われる言葉だった。少し嫌な言葉でもあった。
翌朝。市役所へ行く。駅から歩く。途中、毎朝同じ場所にいる高齢の男性がいた。小さな犬。いつもベンチ。何度も見ている。話したことはない。その日、なぜか、「おはようございます」と言った。男性が顔を上げた。「おはよう」。それだけ。それだけで、胸の奥が少し温かかった。
次の日も、「おはようございます」。「おはよう」。三日目。男性が言った。「今日は暑いね」。「暑いですね」。四日目。犬の名前を聞いた。「ハナ」。「何歳ですか」。「十二歳」。会話は一分もなかった。一分が、なぜか大切だった。
一週間後、男性がいなかった。少し気になった。翌日もいない。三日目。いた。
「最近いませんでしたね」
言った。
「病院」
「大丈夫ですか」
「俺じゃないよ」
男性は犬を指した。
「ハナ」
「そうでしたか」
「年だからね」
しゃがんで、犬を少し撫でた。撫でた手が、温かかった。記録には残らない温かさだった。
市役所へ向かいながら、思った。この会話が、孤独対策なのかはわからない。KPIには入らない。記録もされない。AIも知らない。誰も評価しない。明日、二人とも忘れるかもしれない。忘れてもいい気がした。忘れても、また言える気がした。
それでも、翌朝また会えば、たぶん、「おはようございます」と言う。それで自殺率が下がるわけではない。生活満足度も測れない。行政コスト削減にもならない。ならないまま、言いたくなる。その衝動だけが、自分のものだった。
その年、LIFE Neighborは全国展開された。成功事例として、森田の市の名前が紹介された。人口減少社会における、新しい公共インフラ。二十四時間、誰かが応答する社会。誰も一人にしない社会。そう説明された。説明を聞いて、少し誇らしかった。少し、空しかった。
その表現を修正しなかった。間違ってはいなかった。ただ、「誰も一人にしない」と、「誰かと一緒にいる」は、同じではない。その違いについて、報告書には書かなかった。書かないことが、正常な仕事だった。書かないまま、朝だけは違っていた。
朝。いつもの道。老人。犬。「おはようございます」。「おはよう」。ハナが尻尾を振った。少し立ち止まった。その日は、市役所へ五分遅く着いた。勤怠システムには、《08:35》と記録された。理由は入力しなかった。誰にも聞かれなかった。正常な勤務だった。正常のなかに、一分の挨拶だけが、はみ出していた。それでよかった。
