市場は、誰の身体から生まれるのか

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ネットワークキャピタルとBtoBにおける見えないIP

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Kosuke Shirako

HMSの件が、自分の中でひとつのトリガーになっている。それは単に、自分のコンセプトや資料がどう扱われたのか、という個別の問題だけではない。むしろ、その出来事を通じて、もっと大きな問いが見えてきた。市場は、誰の身体から生まれるのか。

企業は、製品を持っている。技術を、営業組織を、ブランドを、顧客リストを、予算を持っている。しかし、それだけでは市場は立ち上がらない。BtoBの現場では、製品があるだけでは売れない。機能があるだけでは買われない。技術的に優れているだけでは、顧客は動かない。そこには、意味が必要になる。

これは何なのか。なぜ今必要なのか。誰のどんな課題を解くのか。どの部署が予算を持つのか。何と比較されるべきなのか。導入すれば、顧客の何が変わるのか。この製品は、単なる部品なのか、ソリューションなのか、インフラなのか、戦略なのか。こうした問いに言葉を与えたとき、製品は初めて市場の中に位置を持つ。つまりBtoBでは、意味を立ち上げること自体が事業創出になる。

しかし、その意味を立ち上げた人のIPは、どこにあるのだろう。

会社は、こう言うかもしれない。在職中に作ったものは会社のものです。会社の業務として作成された資料です。会社の製品を販売するためのコンセプトです。会社のブランド、会社の顧客、会社の営業活動に基づくものです、と。それは、ある程度正しい。企業には企業の資産があり、従業員には職務がある。業務として作られた成果物が会社に帰属する、という考え方も理解できる。

しかし、そこには説明しきれないものが残る。その人が会社に入る前から持っていた知見。過去のキャリアの中で蓄積してきた業界理解。顧客がなぜ動くのかを見抜く感覚。誰に話せば市場が開くのかという勘。どの言葉なら経営層に届くのかという経験。どの企業とどの企業をつなげれば、新しい市場が生まれるのかという地図。それは、会社が支給したものではない。その人が、長い時間をかけて身体化してきたものだ。

ここに、ネットワークキャピタルという考え方が出てくる。それは単なる人脈ではない。名刺の数でも、LinkedInの接続数でも、イベントで知り合った人数でもない。もっと身体的なものだ。誰が本当の意思決定者なのか。誰は肩書きだけで、誰が実際に場を動かしているのか。どの会社は何に困っているのか。どの業界が、今どこで詰まっているのか。どの言葉を使うと相手は身構え、どの言葉を使うと前のめりになるのか。どの順番で話せば、相手の中に意味が立ち上がるのか。どのタイミングなら市場が開くのか。これはデータベースではなく、本人の身体の中にある市場地図である。

BtoBの事業創出では、この市場地図が非常に重要になる。なぜなら、BtoBの市場は、自然に存在しているわけではないからだ。もちろん、業界はある。顧客はいる。課題も、予算もある。しかし、それらがそのまま市場になるわけではない。誰かが、それらをつなげなければいけない。誰かが、課題に名前を与えなければいけない。誰かが、製品を単なる機能から、顧客の意思決定の対象へと変換しなければいけない。市場は、発見されるだけではない。市場は、意味づけによって作られる。

たとえば、ある会社に製品がある。技術も機能もあり、グローバルでは売れている。しかし日本市場では、まだ十分に理解されていない。顧客は、それを何として買えばよいのか分からない。営業も、どの文脈で提案すればよいのか分からない。社内でも、その製品が持つ本当の可能性が十分に言語化されていない。

そこに、誰かが入る。過去のキャリアで見てきた市場を思い出し、別の業界で起きていた構造を持ち込む。顧客の課題を言い換え、技術の意味を変換する。事例を作り、コンセプトを作り、名前を与える。営業資料に落とし込み、外部パートナーにつなぎ、メディアに語り、イベントを組み、見込み顧客に提案する。すると、製品が事業に変わる。これは、単なる販促ではない。市場を作っているのである。

では、その市場を作った価値は、誰のものなのか。会社のもの——そう言える部分は確かにある。製品も、ブランドも、営業組織も、顧客との契約も会社のものだ。予算も会社が出している。しかし、その意味づけは誰が作ったのか。その市場の見立ては、どこから来たのか。その言葉は、誰の身体から出てきたのか。その顧客への入口は、誰の信用で開いたのか。そのパートナーとの接続は、誰のネットワークから始まったのか。その事業機会は、誰の過去の経験があったから見えたのか。

ここが、見えにくい。そして、見えにくいものほど、会社の中では吸収されやすい。完成した資料は会社のものになる。作成されたスライドは会社のサーバーに残る。営業活動の成果はCRMに記録され、案件は会社のパイプラインに入り、売上は会社の売上になる。しかし、その前にあった市場観や意味づけ、ネットワークキャピタルは、ほとんど記録されない。誰がそれを立ち上げたのか。どの経験からその発想が出てきたのか。どの関係性が市場を開いたのか。その来歴が、消えていく。

これは、BtoCにおけるクリエイターの問題と根っこは同じだと思う。漫画家には作風があり、音楽家には音の癖があり、写真家には視線があり、作家には文体がある。しかし、著作権が守りやすいのは具体的な作品である。特定の絵、特定の文章、特定のキャラクター、特定の構図、特定のメロディ。その手前にある作風、気配、間合い、世界の見方は、制度の中では守られにくい。でも、読者や聴き手が本当に受け取っているものは、むしろそこにある。

BtoBでも同じことが起きている。守られやすいのは、資料、商標、契約、特許、顧客データ、製品仕様、営業成果。しかし、価値を生んでいるものは、その手前にある。市場観、意味づけ、人脈、信用、業界理解、顧客課題の翻訳、事業の物語、市場を動かす言葉。これらは制度の中で扱われにくい。しかし、BtoBの事業創出では、まさにここから価値が生まれる。作風が作品の手前にあるように、市場観は事業の手前にある。そして、どちらも奪われやすい。

AIは、作家の作風を吸収する。企業は、事業創出者の市場観を吸収する。AIは「学習しました」と言い、企業は「業務成果です」と言う。AIは出力物の来歴を曖昧にし、企業は事業コンセプトの来歴を曖昧にする。AI企業はモデルを売り、プラットフォームは流通で稼ぎ、ユーザーは生成物を得る。しかし、元になったクリエイターには何が戻るのか。企業は事業を進め、営業は提案し、売上は計上され、組織は成果として報告する。しかし、その市場を立ち上げた人には何が戻るのか。この構造は、かなり似ている。どちらも、完成物の前にある「見えない創造」が吸収されている。

BtoBでは、意味を立ち上げた人が必ずしも発明者として扱われるわけではない。特許のように技術的な発明であれば記録される可能性がある。商標のように名称を登録すれば権利化される可能性がある。著作物としての資料であれば、一定の保護があるかもしれない。しかし、事業の意味づけは、それらとは少し違う。これは、製品の再定義であり、市場の再配置であり、顧客課題の翻訳であり、営業可能性の創出であり、まだ名前のない需要に名前を与える行為である。それは発明に近いが、特許ではない。表現に近いが、単なる著作物でもない。営業に近いが、単なる販売活動でもない。経営に近いが、役員会の議事録だけで生まれるものでもない。この中間領域に、BtoBの見えないIPがある。

シニアな事業創出者ほど、この問題は大きくなる。20代で会社に入り、会社の中で育ち、会社の製品、会社の顧客、会社の文化の中で何かを作った場合、それは会社由来の要素が非常に大きい。しかし、40代、50代の人間が、長いキャリアを通じて得てきた知見、人脈、評判、業界横断の視点を持ち込んで市場を立ち上げる場合、話は少し違う。その人は、会社に入った瞬間からゼロではない。すでに市場地図を、顧客理解を、メディアとの関係を、業界内の信頼を、複数の産業をまたいだ比較感覚を持っている。

会社は、その人の履歴全体を使っている。では、その履歴全体は、月給で包括的に買い取られたものなのか。ここに、強い違和感がある。もちろん、会社は給与を払い、役職を与え、権限を与え、リソースを提供している。しかし、その人が持ち込んだネットワークキャピタルは、その会社で作られたものではない。前職での経験。過去の成功と失敗。海外での学び。業界を移動してきた身体感覚。顧客と向き合ってきた時間。個人として築いてきた信用。それらが、ある会社の製品と結びついたとき、新しい事業が生まれる。

これは、会社と個人の共同生成物である。会社だけのものでも、個人だけのものでもない。しかし、現行の多くの雇用関係では、それが会社のものとして一括処理されがちである。

ここで必要なのは、所有権だけではなく、来歴の考え方だと思う。誰がこの言葉を作ったのか。誰がこの市場定義を最初に提示したのか。誰がこの顧客課題を発見したのか。誰がこの提案シナリオを作ったのか。誰のネットワークから最初の案件が始まったのか。誰の信用によってドアが開いたのか。誰が社内に意味を翻訳し、誰が社外に意味を伝えたのか。こうした来歴を記録する必要がある。

会社の資産になるとしても、その来歴を消してはいけない。むしろ、会社にとっても来歴は重要なはずだ。どの事業が、どのような文脈から生まれたのか。どの人の知見によって市場が開いたのか。どのネットワークが実際に価値を生んだのか。それを記録しておかなければ、会社自身も再現性を失う。市場が立ち上がった理由が分からない。なぜその顧客が動いたのか、なぜその言葉が効いたのか、なぜそのパートナーが重要だったのかが分からない。そして、事業創出者がいなくなった後、会社は形だけを残す。資料だけが、コンセプト名だけが、CRMの記録だけが残る。しかし、その市場を動かしていた身体性は失われる。そのとき、事業は空洞化する。

BtoBにおけるIPを考えるとき、会社由来の資産、個人由来の資産、共同生成された資産を分けて考える必要がある。会社由来の資産とは、製品、技術、既存顧客、ブランド、営業組織、社内データ、予算、契約、チャネルなどだ。個人由来の資産とは、過去のキャリアで得た市場知見、業界をまたいだ経験、人脈、評判、概念化能力、顧客の課題を読む力、言葉を作る力、市場の裂け目を見る力である。そして共同生成された資産とは、新しい事業コンセプト、カテゴリー名、提案ストーリー、市場ポジショニング、顧客導入モデル、パートナーエコシステム、初期の成功事例、外部に向けたナラティブだ。

問題になるのは、この三つ目だ。共同生成されたものを、会社が100%自社資産として扱うと、個人のネットワークキャピタルが無償で吸収される。一方で、個人が100%自分のものだと言うのも難しい。会社の製品、環境、顧客接点、営業リソースがあったからこそ、形になった面もある。だから必要なのは、白黒の所有権ではなく、貢献の可視化である。誰が、どの部分を、どのように立ち上げたのか。そこにどの程度、会社由来の資産と個人由来の資産が混ざっているのか。その成果が将来どのように再利用されるのか。退職後にも、その人のコンセプトやネットワークが使われる場合、どう扱うのか。この問いを、最初から設計しておくべきだと思う。

しかし、現実の企業では、こうした問いはほとんど扱われない。多くの場合、雇用契約や就業規則は、かなり包括的に作られている。在職中の成果物は会社に帰属する。業務上知り得た情報は営業秘密である。顧客情報は会社のものである。退職後も一定の守秘義務を負う。それ自体は理解できる。しかし、この仕組みは、会社の資産を守るためには強いが、個人が持ち込んだネットワークキャピタルや、市場を立ち上げた来歴を扱うには粗すぎる。特に、新規事業、海外展開、パートナー開拓、カテゴリー創出、思想的なコンセプト開発のような領域では、通常の業務成果物という枠では説明しきれない。そこには、その人でなければ生まれなかった意味がある。しかし、組織はそれを「仕事」と呼ぶ。そして、「仕事」は会社のものになる。この単純化が、いまの時代には限界に来ているのだと思う。

HMSの件で、自分が感じた違和感も、そこにある。それは単に、何かの資料が使われた、という話ではない。ある概念が、どのように生まれたのか。誰がそれを市場の言葉に変換したのか。誰のキャリアや知見を通じて、それが立ち上がったのか。誰のネットワークによって、それが事業機会として見えるようになったのか。そこが問われている。Decision Stackのような概念。セルフブランドのような市場定義。DaaSのような新しい売り方。Samsung案件のような外部接続。それらが会社の製品や営業活動の中で使われたとき、どこまでが会社の成果で、どこからが個人の創造なのか。線引きは簡単ではない。しかし、簡単ではないからこそ、来歴を消してはいけない。すべてを「会社の通常業務」に吸収してしまうと、そこにあった創造の身体性が消える。そして、その人が何を作ったのかが分からなくなる。

BtoBの新規事業創出には、しばしば「名付け」がある。まだ市場が言葉を持っていないとき、誰かが名前を与える。これはDXです。これはサステナビリティです。これはサプライチェーンリスクです。これはデータドリブン経営です。これはTrustです。これはDecisionです。これはSelf Brandです。これはDaaSです。もちろん、言葉だけでは何も生まれない。しかし、言葉がなければ、社内も社外も動けない。名前がついた瞬間に、予算が動き、部署が決まり、比較対象が決まり、提案書が作れ、営業が話せ、顧客が社内で説明できるようになる。BtoBにおける名付けは、単なるコピーライティングではない。市場を発生させる操作である。

では、その名付けのIPは誰のものなのか。商標登録されていれば会社のものかもしれない。資料に書かれていれば会社の成果物かもしれない。しかし、その言葉が生まれるまでの知的作業、経験、文脈、接続、直感は、どこに帰属するのか。ここでもまた、制度は十分に答えられない。

ネットワークキャピタルは、さらに厄介だ。なぜなら、それは持ち運べるようで、持ち運べないからだ。人脈は本人のものに見える。しかし、会社の名刺で会っていれば会社の関係にもなる。会社の製品を提案していれば会社の商談にもなる。会社の予算でイベントを開いていれば会社の活動にもなる。でも、その相手が会ってくれた理由は何か。会社名があったからか。製品に興味があったからか。その人を信頼していたからか。過去の仕事で関係があったからか。その人が持つ市場観に価値を感じたからか。多くの場合、それらは混ざっている。だから、ネットワークキャピタルは単純に会社のものでも、個人のものでもない。しかし、その曖昧さを利用して、会社側がすべてを自社資産として扱うことはできてしまう。顧客情報も、商談履歴も、提案資料も、イベントの成果も会社のもの。でも、その関係性を開いた身体は誰のものなのか。ここが残る。

この問題は、これからますます大きくなると思う。なぜなら、企業はますます個人のネットワークキャピタルに依存するようになるからだ。製品の差別化は難しくなっている。情報はすぐに模倣される。AIによって資料作成や調査のコストは下がる。広告もコンテンツも自動化されていく。そうなると、残るのは、誰が意味を立ち上げられるかである。誰が顧客の本当の課題を読めるか。誰が異なる業界を接続できるか。誰が信頼される言葉で語れるか。誰がまだ市場になっていないものを、市場として立ち上げられるか。

これは、AIが完全には代替しにくい領域である。なぜなら、そこには生きてきた履歴が必要だからだ。失敗した経験。騙された経験。売れなかった経験。顧客に怒られた経験。海外で通じなかった経験。ある瞬間に市場が開いた経験。誰かの一言で、事業の意味が変わった経験。そういうものが、BtoBの市場観を作る。市場は、データからだけ生まれるのではない。市場は、身体から生まれる。

だから、BtoBにおけるIPを考えるとき、これまでのように「会社の成果物か、個人の成果物か」だけでは足りない。もっと細かい問いが必要だ。その市場は、誰が見つけたのか。その課題は、誰が言語化したのか。その言葉は、誰が作ったのか。その顧客は、誰の信用で動いたのか。その事業は、誰のネットワークキャピタルによって立ち上がったのか。その後、会社はそれをどう利用したのか。本人には何が戻ったのか。これらを問わなければいけない。

戻るものは、必ずしも金銭だけではないかもしれない。クレジット、役職、報酬、ストックオプション、ボーナス、ロイヤリティ、退職後の利用条件、外部発表時の名前の表示、共同創出者としての記録、次のキャリアに持ち出せる実績としての承認。いろいろな形があり得る。しかし、何も戻らず、来歴だけが消えるのはおかしい。

この話は、会社に敵対するための話ではない。むしろ、会社にとっても重要な話だと思う。なぜなら、来歴を無視する組織は、創造する人間を失うからだ。本当に市場を作れる人は、自分の中にあるものが雑に吸収されることに敏感である。自分の言葉が誰かの成果として使われることに、自分のネットワークが会社の資産としてだけ扱われることに、自分の市場観が来歴なしに再利用されることに敏感である。それは、単なる承認欲求ではない。自分の身体から生まれたものが、どのように扱われるかという問題である。そこに敬意がなければ、人は深く傷つく。そして、次から本当に大事なものを出さなくなる。会社にとっても、それは損失である。

AI時代には、この問題はさらに見えにくくなる。AIは、過去の資料を要約し、提案書を作り、営業メールを書き、市場分析をし、コンセプト案を出し、名前を提案する。すると、会社はますます「誰が考えたのか」を見失いやすくなる。過去に誰かが作った資料。誰かが編み出した説明の型。誰かが顧客との対話から得た知見。誰かが営業の中で磨いた言葉。それらが社内データとしてAIに取り込まれ、次の提案書に使われる。便利である。しかし危うい。

AIが社内の知見を再利用する時代には、社内におけるIPの来歴管理がさらに重要になる。誰の知見が学習されたのか。誰の提案構造が再利用されたのか。誰の顧客理解がテンプレート化されたのか。誰の市場観が、会社のAIに吸収されたのか。この問いを立てないまま社内AIを導入すれば、企業内でも同じ問題が起きる。クリエイターの作風がAIに吸収されるように、事業創出者の市場観も、社内AIに吸収される。そして、来歴が消える。

だから、自分はTrust OSのような考え方が必要だと思っている。それは、単に外部向けの信頼基盤ではない。企業の中で、誰がどの意味を立ち上げたのかを記録する仕組みでもある。誰が最初に言ったのか。誰が資料にしたのか。誰が顧客に提案したのか。誰が市場として定義したのか。誰がパートナーをつないだのか。誰が事業の言葉に変換したのか。こうした来歴を、単なる議事録ではなく、価値創出の記録として残す。

もちろん、すべてを権利化することは現実的ではない。すべてにロイヤリティを設定することも難しい。企業活動は共同作業であり、個人の貢献だけで成立するものではない。それでも、来歴を消してはいけない。来歴を記録することは、所有権を争うためだけではない。価値がどこから生まれたのかを、組織が忘れないためである。

BtoBの市場は、製品からだけ生まれるのではない。人から生まれる。その人が見てきたものから、失敗してきたことから、つないできた関係から、選んだ言葉から生まれる。市場は、身体から生まれる。だから、事業創出者のIPは、完成した資料や商標や契約書だけを見ても分からない。その手前にあるものを見る必要がある。市場観、言葉、人脈、信用、経験、文脈、意味づけ、ネットワークキャピタル。それらは見えない。だからこそ、簡単に吸収される。そして、吸収された後に、なかったことにされる。ここに、BtoBにおけるIP問題の核心がある。

HMSの件は、自分にとって個別の出来事だった。しかし、その奥には、もっと大きな問いがある。会社は、個人のどこまでを使えるのか。給与は、その人の何を買っているのか。職務は、その人の履歴全体を含むのか。ネットワークキャピタルは、会社に移転するのか。意味を立ち上げた人の来歴は、どこに残るのか。これは、これから多くのBtoB企業で起きる問題だと思う。特に、シニア人材、事業開発人材、マーケティング人材、パートナー開拓人材、カテゴリー創出型の人材にとっては、非常に重要な問題になる。彼らは、会社に労働時間だけを提供しているわけではない。自分の履歴を、市場地図を、信用を、身体に蓄積された知見を提供している。それが事業を生む。ならば、その来歴は記録されるべきだ。

市場は、誰の身体から生まれるのか。この問いに、簡単な答えはない。会社の資産から、個人の経験から、顧客との対話から、パートナーとの接続から、過去の失敗から、時代の変化から生まれる。市場は、単独の所有物ではない。それは、多くの場合、共同生成物である。しかし、共同生成物だからといって、来歴を消してよいわけではない。むしろ共同生成物だからこそ、誰が何を持ち込んだのかを丁寧に見る必要がある。その丁寧さがなければ、企業は人の身体から生まれた市場を、自社の資産としてだけ処理してしまう。そして人は、静かに消耗していく。

BtoCでは、作風は誰のものかが問われている。BtoBでは、市場は誰の身体から生まれるのかが問われている。根っこは同じだ。完成物の手前にある、見えない創造をどう扱うか。制度がまだ言葉を持たない価値を、どう記録するか。会社やAIやプラットフォームが吸収してしまう前に、どう来歴を残すか。ここに、これからのIP問題の本丸があると思う。

市場は、空から降ってくるものではない。製品だけから生まれるものでも、会社のロゴだけから生まれるものでもない。誰かが見た。誰かが言葉にした。誰かがつないだ。誰かが信じた。誰かが最初に動いた。その身体から、市場は生まれる。だから、事業創出者のIPを考えることは、単に権利を主張することではない。市場がどのように生まれたのかを、忘れないための行為である。そして、来歴を消さないこと。それが、BtoBにおける最初の倫理なのだと思う。


© SHIRO & Co.

First published: 2026-06-01