意味は誰のものか

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Kosuke Shirako

ある日、一通のレターが届いた。そこには、私が作った資料は会社のものである、と書かれていた。

法律上は珍しい話ではない。会社員が職務として作成した資料や成果物は、会社に帰属する。日本ではよくある話だ。私はそのこと自体を否定したいわけではない。むしろ興味を持ったのは、その先にある別の問いだった。本当に会社が所有しているのは、何なのだろう。

例えば、一枚のPowerPointがある。そこには文章が書かれ、図が描かれ、タイトルが付いている。法律はそれを見る。著作物として保護されるか。職務著作に該当するか。著作権者は誰か。それは重要な問いだ。しかし、私が気になったのは別のことだった。そのPowerPointが生まれる前に、何があったのだろう。

私は通信業界にいた。製造業にもいた。認証機関とも仕事をしてきたし、ソフトウェア企業にもいた。それぞれの業界には、独自の言葉があり、独自の常識があり、独自の風景がある。けれど時々、それらが繋がって見える瞬間がある。通信、認証、工場、データ、AI。それらが別々の市場ではなく、一つの構造として見える瞬間だ。その瞬間に、人は新しい図を描き、新しい言葉を作り、新しい市場を定義する。

私は長い間、それを繰り返してきた。Decision Stack、Industrial OS、Trust OS。名前は違うが、本質的には同じことを考えていた。世界をどう見るか。市場をどう定義するか。人はなぜ動くのか。意思決定はどこで生まれるのか。そうした問いを、図にしていた。

ある人は言うだろう。それは単なる資料だ、PowerPointだ、会社の仕事だ、と。確かにそうかもしれない。しかし私は、少し違う見方をしている。資料は結果に過ぎない。本当に価値があるのは、その背後にある見方だ。

例えば建築家を考えてみる。建築家は家を設計する。だが建築家の価値は、図面そのものにあるのだろうか。もちろん図面も重要だ。しかし本質的な価値は、どこに壁を置くか、どこに窓を作るか、どこに光を入れるか、という判断にある。図面は、その結果である。

私は最近、自分の仕事を別の言葉で考えるようになった。Boundary Designer。境界を設計する人。通信と製造の境界、ソフトウェアとインフラの境界、人間とAIの境界、企業と個人の境界、意味と所有の境界。そうした境界を引き直すことで、新しい市場や新しい物語が生まれる。

そしてここで、一つの問題が現れる。境界は、誰のものなのだろう。図面は所有できる。文章も、ロゴも所有できる。しかし、市場の見方は誰のものか。意味の生成は誰のものか。境界の設計は、誰のものか。

AIが登場したことで、この問いはさらに大きくなった。AIは文章を書く。人は編集する。企業は利用する。ユーザーは解釈する。すると、価値はどこで生まれているのだろう。文章だろうか。アルゴリズムだろうか。編集だろうか。それとも、コミュニティだろうか。

今の法制度は、この問いにまだ十分な言葉を持っていない。著作権はある。特許もある。商標もある。だが、「意味を立ち上げた人」をどう扱うのかについては、まだ議論の途中にあるように見える。

私は争いたいわけではないし、誰かを責めたいわけでもない。ただ興味がある。いま、社会のどこで価値が生まれているのか。そして、その価値を誰が所有していることになっているのか。

一つの出来事は、その問いへの入口だった。しかし本当に面白いのは、その先にある。これは会社と個人の話ではない。AIと人間の話でもない。知的財産だけの話でもない。もっと大きな話だ。私たちは今、「ものを所有する時代」から、「意味を設計する時代」へ移り始めているのかもしれない。

そして、その時代の知的財産とは何なのか。私はまだ答えを持っていない。だから、しばらくこの問いを追いかけてみようと思う。


© SHIRO & Co.

First published: 2026-05-31