厨二病は治らない。ただ、死が近づくと再発する
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— 人生後半に戻ってくる青さについて—
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Kosuke Shirako
厨二病、という言葉がある。
一般には、思春期の一時期にだけ現れる、少し痛々しい自己意識のこととして扱われている。自分は特別だと思う。世界の仕組みに気づいてしまった気になる。大人たちは嘘をついていると思う。自分だけが、社会の茶番や人生の虚しさを見抜いているような気がする。
もちろん、多くの場合、それは未熟さでもある。でも、本当にそれだけだろうか。
厨二病の中心には、たぶん、かなり本質的な発見がある。
人は死ぬ。世界は思っていたほど確かではない。大人たちは、何かを知っているような顔をしているけれど、実は何もわかっていないのではないか。人生には、決定的な意味など最初から用意されていないのではないか。
若い頃、人はある瞬間にそれに気づく。授業中かもしれない。夜の部屋かもしれない。好きな音楽を聴いているときかもしれない。映画を見たあとかもしれない。誰かの死を知ったときかもしれない。
世界が急に薄くなる。昨日まで当たり前だった日常が、急に作り物のように見える。そして思う。どうせ死ぬのに、なぜみんな普通にしていられるのか。
これは、かなり危険な問いである。だから社会は、それを「厨二病」と呼んで処理する。若いね。痛いね。そのうち治るよ。黒歴史になるよ。そう言って、問いそのものを笑いに変える。
たしかに、その時期の自己表現は過剰かもしれない。言葉は大げさかもしれない。孤独の扱い方も不器用かもしれない。世界の複雑さを十分に知らないまま、世界を裁こうとしているところもある。
でも、それでもなお、厨二病の中には本物の問いが混ざっている。
人間は有限である。自分はいつか消える。この社会は、その事実を前提にしているようで、実際にはほとんど見ないようにして動いている。
若い頃の厨二病とは、死を想像してしまう病である。
生活によって、上書きされる
そして、多くの人はそこから卒業する。いや、本当に卒業するのではない。生活によって、上書きされる。
仕事が始まる。会社に行く。メールを返す。会議に出る。家賃を払う。結婚する。子どもが生まれる。住宅ローンを組む。親のことを考える。税金を払う。健康診断を受ける。部下ができる。転職する。評価される。評価されない。疲れる。寝る。起きる。また働く。
そうして、死について考える時間は減っていく。というより、考えないほうが生活しやすい。
日々の実務は、死の問いと相性が悪い。「どうせ死ぬのに、この資料を作る意味があるのか」と考え始めると、月曜の朝はかなり厳しくなる。「どうせ消えるのに、なぜ売上目標を追うのか」と考え始めると、組織人としてはやっていきにくい。
だから人は、見ないことにする。それは逃避というより、生存技術に近い。死を忘れられるから、日常は回る。死を脇に置けるから、家族を養える。死を一時的に棚上げできるから、社会は動く。
若い頃に見えてしまった穴を、人は仕事や家庭や責任でふさいでいく。そして、たいていの場合、それでうまくいく。少なくとも、しばらくは。
人生後半に、穴がまた見える
けれど人生の後半に入ると、ある時期から、そのふさいだはずの穴がまた見えてくる。
親が老いる。同世代が病気になる。昔好きだった作家やミュージシャンが亡くなる。自分の身体の回復が遅くなる。健康診断の数値に、妙な現実味が出てくる。子どもが成長して、自分がいなくても世界は続いていくのだとわかる。
若い頃には抽象だった死が、だんだん具体的になる。「人は死ぬ」ではなく、「自分も死ぬ」になる。
ここで、厨二病が再発する。ただし、若い頃とは少し違う。
若い頃の厨二病には、死の観念と万能感が同居していた。どうせ死ぬ。でも、自分は何者かになれるかもしれない。世界を変えられるかもしれない。まだ選ばれていないだけかもしれない。そこには、絶望と同じくらい、根拠のない可能性があった。だから若い厨二病は、暗いようでいて、どこか明るい。自分は特別だ、という痛々しさがある。
でも、人生後半の厨二病は違う。
どうせ死ぬ。しかも、自分はもう何者にでもなれるわけではない。時間は無限ではない。選ばれなかった可能性は、かなりの数、すでに閉じている。身体も若くない。親も永遠ではない。子どももいつまでも子どもではない。
ここには、万能感がない。あるのは、有限感である。
だから、人生後半の厨二病は、若い頃よりも静かで、重い。叫ぶというより、黙る。反抗するというより、立ち止まる。世界を変えたいというより、自分が本当に見てきたものを、せめて見ないふりをせずに残したいと思う。
自分が、大人の一人になっていた
これは、いわゆる「中年の危機」とは少し違う。中年の危機という言葉には、どうしても外形的なイメージがつきまとう。急に若作りをする。高い車を買う。転職する。恋愛に走る。人生をやり直そうとする。もちろん、そういう形を取ることもあるだろう。
でも、ここで言いたいのは、もっと内側の現象である。
人生後半に戻ってくる青さ。生活に慣れてしまった自分への違和感。「自分は、いつのまにこんなに物分かりがよくなったのか」という気持ち。「本当は、まだ納得していなかったのではないか」という感覚。
それは、若い頃の青さがそのまま戻ってくるわけではない。むしろ、生活によって一度沈殿した青さが、死の具体性によって再び浮かび上がってくる。
若い頃の厨二病は、世界が嘘に見える病だった。人生後半の厨二病は、自分がその嘘に慣れてしまったことに気づく病である。
ここがつらい。
若い頃は、大人たちが嘘をついていると思っていた。でも人生後半になると、自分もその大人の一人になっていたことに気づく。会議で正しそうなことを言う。場を荒らさないように黙る。本当は変だと思っていることを、まあ仕方ないと言う。違和感を飲み込む。怒りを調整する。美しいものを見ても、すぐに仕事の連絡を返す。好きだった音楽を、懐かしさの棚にしまう。本を読む時間が減る。感動する前に、効率を考える。
そうやって、人は大人になる。それは悪いことではない。大人になるとは、世界の不完全さを引き受けることでもある。
でも、ある時期にふと思う。本当にこれでよかったのか。あのとき、世界が薄く見えた感覚。死ぬんだと思った夜。音楽を聴いて、なぜかわからないけれど涙が出そうになった瞬間。誰にも説明できない違和感。大人になる前の、あの危うい感受性。
あれは、ただの未熟さだったのか。本当に卒業すべきものだったのか。むしろ、あれだけが本物だったのではないか。そう思ってしまう。
SNSで、死が見えてしまう
ただ、平均寿命という数字は、人を少し油断させる。厚生労働省の令和6年簡易生命表では、日本人の平均寿命は男性81.09年、女性87.13年とされている。そう聞くと、なんとなく自分にも80代までの時間があるような気がしてしまう。
でも、現実はそう単純ではない。40代で亡くなる人がいる。50代で亡くなる人がいる。30代ですら亡くなる人もいる。もちろん、それは統計的には多数派ではないのかもしれない。けれど、自分の周囲に一人、二人と出てくると、それはもう例外ではなくなる。
同級生。元同僚。昔よく読んでいた書き手。SNSで見ていた人。名前だけ知っていた誰か。毎日のように投稿していた人が、ある日から更新しなくなる。
以前なら、その死はもっと見えにくかった。地元の噂として、あとから知る。年賀状が途切れて気づく。誰かから聞かされる。新聞のお悔やみ欄に小さく載る。
でもいまは違う。SNSによって、人の死はかなり可視化された。闘病の投稿が流れてくる。突然の訃報が共有される。家族や友人が、最後の投稿を残す。追悼コメントが並ぶ。過去の投稿が、その人がまだそこにいるような顔で残り続ける。
すると、死は遠い未来の抽象ではなくなる。「ああ、人は本当に途中でいなくなるのだ」とわかる。しかも、それは思っていたより少数ではない。平均寿命という大きな数字の陰に隠れていただけで、40代で、50代で、30代で消えていく人たちは、確かにいる。そしてSNSは、その存在を日常のタイムラインに運んでくる。
これはかなり大きな変化だと思う。死は、昔より身近になったのではない。昔から身近だった。ただ、いまは見えてしまう。
人生後半の厨二病が再発する背景には、この可視化された死がある。
自分もいつか死ぬ。それはわかっていた。でも、いつかではないかもしれない。平均寿命まで生きる保証など、どこにもない。来年かもしれない。五年後かもしれない。十年後かもしれない。明日かもしれない。
そう思った瞬間、日常の見え方が少し変わる。いつか書こう。いつか作ろう。いつか会おう。いつか旅に出よう。いつか自分の言葉で話そう。その「いつか」が、急に頼りなくなる。
SNSで流れてくる誰かの死は、単なるニュースではない。それは、自分の残り時間に対する通知である。
死の問いと、生活費の問い
ただ、ここで現実が割り込んでくる。
死を見つめたい。本当に大事なことをしたい。自分の感覚をなかったことにせず、何かを残したい。そう思ったとしても、生活は待ってくれない。
老後資金はどうするのか。住宅ローンはどうするのか。親の介護はどうするのか。子どもの教育費はどうするのか。健康保険料はどうするのか。年金だけで足りるのか。そもそも、いつまで働けるのか。
人生後半の厨二病は、若い頃のように夜の部屋で完結しない。朝になると、請求書がある。メールがある。会議がある。病院の予約がある。親からの電話がある。子どもの予定がある。通帳の残高がある。
「死ぬんだ」と思った次の瞬間に、「でも生活費がいる」と思う。
ここが、人生後半の青さのいちばん残酷なところである。
若い頃の厨二病には、まだ逃げ場があった。学校をサボる。夜更かしする。音楽を聴く。ノートに書く。世界を呪う。自分はいつかここではない場所へ行くのだと思う。
でも人生後半になると、そう簡単には逃げられない。守るものがある。支払うものがある。面倒を見るものがある。これまで積み上げてしまった生活がある。
だから、多くの人は再発した青さを、また押し込める。そんなことを考えている場合ではない。働かないと。稼がないと。家族を守らないと。老後に備えないと。好きなことは、余裕ができてからでいい。
しかし、その「余裕ができてから」が、たぶん来ない。
ここに、いまの日本のかなりリアルな叫びがある。人は、ただ夢を忘れたわけではない。青さを捨てたわけでもない。生活に殺されないために、青さを一時的に凍結しているだけなのかもしれない。
井上陽水の「傘がない」ではないが、世界の問題も、思想の問題も、死の問題も、もちろん大事だ。けれど、今日をどうやってしのぐのかという問題は、もっと切実に目の前にある。
人生後半の厨二病とは、死の問いと生活費の問いが、同じテーブルに置かれてしまうことである。
どうせ死ぬ。でも、明日の支払いがある。本当に大事なことをしたい。でも、働かないといけない。自分の感覚を残したい。でも、疲れている。
この矛盾の中で、それでも何かを作ろうとすること。それが、人生後半の創作なのだと思う。
定年後に、宙に浮く
ただ、「好きなことをすればいい」と言うのも簡単ではない。好きなことをするにも、資金がいる。時間がいる。体力がいる。場所がいる。一緒に話せる人がいる。それを続けるための習慣がいる。
ただ会社を辞めれば、自由になれるわけではない。自由とは、空白ではない。自由とは、自分の時間をどう使うかを決める力である。そしてその力は、定年の日に突然手に入るものではない。
多くの人は、長いあいだ会社や組織の時間割の中で生きてきた。何時に起きるか。どこへ行くか。誰と会うか。何を優先するか。何を成果と呼ぶか。その多くを、仕事が決めてくれていた。
もちろん、それは窮屈でもある。でも同時に、仕事は人に構造を与えている。予定を与える。役割を与える。評価を与える。人間関係を与える。朝起きる理由を与える。
だから、定年後に急にその構造が外れると、人は自由になるというより、宙に浮く。
時間はある。でも、何をしたらいいのかわからない。行きたい場所がない。会いたい人がいない。読みたい本も、作りたいものも、急には出てこない。好きなことをすればいいと言われても、その「好き」が長年の仕事と生活の中で、どこかに埋もれてしまっている。
これは怠けているのではない。遊ぶ力が衰えているのである。自分の好奇心を信じる力が、弱っているのである。
人生後半の厨二病が戻ってきたとき、人は「本当は何をしたいのか」と問われる。けれど、その問いにすぐ答えられる人は多くない。
好きなことは、見つけるものというより、育てておくものなのだと思う。若い頃から少しずつ残しておく。仕事の外に、小さな関心を持つ。誰に評価されなくても続けられることを持つ。お金にならなくても見てしまうものを持つ。忙しい日々の中で、十分ではなくても、完全ではなくても、少しだけ手をつけておく。
それは老後の趣味ではない。人生後半に、自分を見失わないための避難路である。
定年後に必要なのは、豪華な夢ではない。小さくても、自分の時間を自分で動かせる回路である。朝、どこへ行くのか。何を読むのか。誰に会うのか。何を記録するのか。何を作るのか。何を見て、美しいと思うのか。それを少しずつ取り戻していくこと。
人生後半の創作とは、作品を作ることだけではない。自分の時間の使い方を、もう一度、自分の手に戻すことでもある。
問いを見ないための運動
ただし、人生後半になったからといって、誰もがこの問いに戻るわけではない。生活による上書きのフェーズに、ずっと留まり続ける人もいる。
仕事を続ける。収入を増やそうとする。肩書きを守る。住まいを整える。健康に気をつける。恋愛を探す。結婚を諦めない。マッチングアプリを開く。誰かからの返信を待つ。新しい出会いに期待する。
もちろん、それらを否定したいわけではない。働くことも、恋愛することも、結婚を望むことも、人間にとって自然なことだ。人生後半に誰かと出会い直すことは、素晴らしいことでもある。
ただ、それがときどき、問いを見ないための運動になることがある。
一人でいると、死のことを考えてしまう。老後のことを考えてしまう。このまま自分は何を残すのか、と考えてしまう。だから、誰かを探す。誰かとつながる。まだ終わっていない物語の中に、自分を置き直そうとする。
マッチングアプリは、その意味でとても現代的な装置である。そこには恋愛市場がある。条件がある。写真がある。年齢がある。年収がある。趣味がある。返信速度がある。選ばれる不安がある。選ぶ疲労がある。
そして、その奥にはしばしば、もっと深い問いが隠れている。自分はこのまま一人で死ぬのか。誰かに覚えていてもらえるのか。まだ誰かに必要とされるのか。人生はまだ変わるのか。
それは恋愛の問いであると同時に、死と孤独の問いでもある。けれど、アプリの画面はそれを恋愛の問題として処理する。プロフィールを直しましょう。写真を変えましょう。メッセージを工夫しましょう。条件を広げましょう。もっと会いましょう。
そうして、本当は存在の問題だったものが、マッチングの問題に変換される。
これは、人生後半の厨二病とは逆の動きである。人生後半の厨二病は、生活の上書きをはがし、死の問いに戻ろうとする。一方で、生活による上書きに留まり続ける人は、死の問いが顔を出すたびに、仕事や恋愛や消費や予定で、それをもう一度覆い隠そうとする。
それは弱さではない。人間は、そんなに簡単に死を見つめ続けられない。だから、誰かを探す。予定を入れる。働く。買う。会う。また始めようとする。その必死さもまた、生きることの一部である。
ただ、それでもどこかで、問いは残る。本当に探しているのは、恋人なのか。それとも、自分の有限性から目をそらせる物語なのか。人生後半の青さは、その違いに気づいてしまうところから始まる。
厨二病を、形式に変える
ここで、人生後半の厨二病は創作に近づく。
アーティストとは、厨二病を治さなかった人のことかもしれない。もちろん、ずっと未熟なままでいるという意味ではない。むしろ逆である。社会性を身につけ、技術を磨き、生活を知り、人間の複雑さを知ったうえで、それでもなお、若い頃に見えてしまった穴から目をそらさない人。それがアーティストなのではないか。
多くの人は、厨二病を生活で薄める。アーティストは、それを形式に変える。音楽にする。絵にする。小説にする。写真にする。映画にする。思想にする。小さな店にする。庭にする。生活のリズムにする。
青さを、そのまま叫ぶのではなく、形にする。
若い頃の青さは、しばしば自分に向かっている。自分は何者なのか。自分は特別なのか。自分はなぜここにいるのか。
でも人生後半の青さは、少しだけ他者に開かれている。自分が消えたあと、何が残るのか。自分が見たものを、誰かに渡せるのか。子どもたちは、この世界をどう感じるのか。失われていくものを、どう記録するのか。言葉になる前の感動を、どう残すのか。
そこには、自己表現というより、継承の感覚がある。だから人生後半の厨二病は、痛いだけではない。むしろ、かなり大切な再起動なのだと思う。
軽さが必要になる
ただし、その再起動は、ずっと真顔で抱えていると重すぎる。死ぬ。老いる。時間は無限ではない。生活費がいる。働かないといけない。好きなことにも資金と時間がいる。これらを全部、真正面から受け止め続けるのは、かなりしんどい。
だから、軽さが必要になる。
みうらじゅんとリリー・フランキーの『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』という本がある。タイトルだけで、すでにほとんど答えになっている。人は死ぬ。でも、それを「人間は有限である」とは言わない。「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」と言う。
この口調が大事なのだと思う。死を軽く見ているわけではない。でも、死を重々しく扱いすぎてもいない。哲学の言葉にしない。宗教の言葉にもしない。自己啓発の言葉にもしない。飲み屋で隣の人に話しかけるような口調で、人生最大の前提を置いてしまう。
この本の面白さは、人生の悩みを、死から逆算して少し軽くしてしまうところにある。死ぬんだから、そんなに立派な目的を持たなくてもいい。死ぬんだから、仕事を人生の本業にしすぎなくてもいい。死ぬんだから、もっとくだらないことに救われてもいい。死ぬんだから、変に深刻ぶらなくてもいい。
これは、人生後半の厨二病に対する、かなり優れた解毒剤でもある。人生後半の厨二病は、死の問いを再発させる。どうせ死ぬのに、なぜまだ本気で見ていないのか。そう問いかける。けれど、その問いをずっと真顔で抱えていると、人は疲れてしまう。
だから、みうらじゅんはそこにダジャレを入れる。リリー・フランキーはそこに下ネタを入れる。深刻な問いを、しょうもない会話に通す。すると、死は消えないけれど、少し扱えるものになる。
これは逃避ではない。死を日常に置くための技術である。死を見つめるには、深刻さだけでは足りない。軽さがいる。冗談がいる。言葉遊びがいる。「っつーじゃないですか」という、少しだらしない語尾がいる。
人生後半の青さは、放っておくと重くなりすぎる。だから、ときどき、しょうもなさで中和しなければならない。老いも、死も、生活費も、孤独も、本当はかなり重い。でも、重いものを重いまま持ち続けることだけが誠実なのではない。軽く言えるようにすること。笑える名前をつけること。誰かと話せる形にすること。それもまた、人生後半を生きるための作法なのだと思う。
ほぼ日と、糸井重里
そして、この流れは糸井重里とほぼ日に繋がっていく。
ほぼ日には、「老いと死」特集というポータルがある。老いと死。言葉だけを見ると、かなり重い。けれど、ほぼ日はそれを、重いテーマとして一枚岩に扱わない。養老孟司と糸井重里の対談「生死については、考えてもしょうがないです。」など、老いと死をめぐる複数のコンテンツが並んでいる。
ここが、ほぼ日らしい。老いと死を、哲学だけに渡さない。医療だけに渡さない。宗教だけに渡さない。自己啓発だけに渡さない。美容やアンチエイジングだけに渡さない。雑談に戻す。生活に戻す。読みものに戻す。笑いに戻す。身体に戻す。誰かと話せる場所に戻す。
人生後半の厨二病は、一人の中で再発する。死ぬんだ。老いるんだ。時間は無限ではない。でも生活費がいる。何かを残したい。けれど、この問いを一人で抱え続けるのはつらい。
だから、本当は場が必要なのだと思う。老いと死について、暗くなりすぎず、軽くなりすぎず、話せる場所。結論を急がず、正解を出さず、でも目をそらさない場所。
ほぼ日の「老いと死」特集は、まさにそういう場所に見える。死を、遠い抽象としてではなく、生活の中に置く。老いを、敗北としてではなく、話題にする。終末期医療も、筋肉も、雑談も、動物も、ダジャレも、同じテーブルに置く。
そこには、人生後半の厨二病を社会化するヒントがある。個人の青さを、孤独な叫びのままにしない。老いと死について話せる、共有可能な言葉に変える。それは、かなり大事な文化的作業なのだと思う。
そして、この話は糸井重里自身にも戻ってくる。ほぼ日は2025年に社長交代を発表し、取締役副社長だった小泉絢子氏が代表取締役社長に就任、創業者の糸井重里氏は代表取締役会長CEOになると報じられた。もちろん、糸井氏が会社から消えるわけではない。だから、これは単純な引退ではない。
けれど、日々の経営責任を次の世代に渡し、自分はもう一度、創作の場所へ戻っていくようにも見える。ここに、人生後半のひとつの理想形がある。
若い頃、糸井重里はコピーを書いていた。言葉で時代の気分をつかんだ。広告を書き、ゲームを作り、歌詞を書き、エッセイを書き、人と話した。つまり、もともと創作者だった。その創作が、ほぼ日というメディアになった。メディアが、場になった。場が、商品になった。商品が、会社になった。会社が、組織になった。
そして人生後半、その組織を次の人に渡しながら、本人はまた創作のほうへ戻っていく。
これは、定年後に何をしたらいいかわからない、という多くの人の問題と対照的である。多くの人は、仕事を辞めたあとに好きなことを探そうとする。でも、好きなことは、定年の日に突然見つかるものではない。働いているあいだに、生活の下で、少しずつ燃やし続けておくものなのだと思う。
糸井重里氏の場合、創作を捨てて経営者になったのではない。創作を、会社という形に変えてきた。だから、社長を退いても、戻る場所がある。戻る言葉がある。戻る読者がいる。戻る場がある。
人生後半に必要なのは、巨大な夢ではないのかもしれない。自分が戻っていける場所を、生活の中に残しておくこと。 仕事や責任や経営に上書きされながらも、完全には消さなかった青さを、もう一度取り出せるようにしておくこと。それは、人生後半の厨二病がただの再発で終わらず、創作に変わるための条件なのだと思う。
ちゃんと見るための青さ
若い頃、人は「どうせ死ぬのに、なぜ生きるのか」と問う。人生後半になると、問いは少し変わる。
どうせ死ぬのに、なぜまだ本気で見ていないのか。
ここに来る。
この問いは強い。なぜなら、もう時間が無限ではないからだ。若い頃なら、いつかやればいいと思えた。いつか書く。いつか作る。いつか旅に出る。いつか本当に好きなことをする。いつか自分の言葉で話す。いつか、ちゃんと生きる。
でも、人生後半の「いつか」は、少しずつ信用できなくなる。残り時間が、まだ十分にあるとしても、無限ではないことだけはわかってしまう。
だから青さが戻ってくる。ただし、それはもう、世界を斜めに見るための青さではない。ちゃんと見るための青さである。
死ぬからこそ、見る。終わるからこそ、残す。消えるからこそ、記録する。間に合わないかもしれないからこそ、今日やる。
人生後半の厨二病とは、死の具体性によって戻ってくる創作衝動である。それは恥ずかしいものではない。むしろ、恥ずかしさを越えたところにある。
若い頃の厨二病は、他人からどう見られるかを気にしていた。人生後半の厨二病は、もう少しだけ自由である。どう見られるかより、見なかったことにして終わるほうが怖い。笑われることより、自分の感覚をなかったことにするほうが怖い。うまくいかないことより、何も残さないことのほうが怖い。
だから、書く。だから、作る。だから、歩く。だから、読む。だから、聴く。だから、誰かに会う。だから、もう一度、青くなる。
最後の火種
たぶん厨二病は、治るものではない。一度、死を見てしまった人は、それを完全には忘れられない。ただ、しばらく生活の中で眠るだけだ。仕事の下に。家族の下に。責任の下に。疲労の下に。常識の下に。物分かりのよさの下に。
そして人生の後半で、また目を覚ます。
そのとき、それを恥じてはいけないのだと思う。「いい歳をして」と言われるかもしれない。でも、いい歳をしたからこそ、戻ってくる問いがある。若い頃には想像でしかなかった死が、人生後半には現実の手触りを持つ。そして今では、その死はSNSのタイムラインにも流れてくる。誰かの訃報として。更新されなくなったアカウントとして。最後の投稿として。追悼の言葉として。平均寿命という大きな数字ではなく、具体的な名前を持った死として。
だからこそ、その青さは軽くない。それは未熟さではなく、有限性への反応である。
大人になっても、世界は完全には納得できない。むしろ大人になったからこそ、納得できないことは増える。人は死ぬ。大切なものは消える。街は変わる。身体は衰える。記憶は薄れる。誰かの声は、いつか聞こえなくなる。それでも、日々は続く。
朝が来る。コーヒーを飲む。電車が走る。子どもが笑う。古い音楽が流れる。知らない花が咲いている。夕方の光が部屋に入る。そこに、どうしようもなく意味があるように感じてしまう。
たぶん、それが人生後半の厨二病なのだ。死を知ったうえで、まだ世界に意味を感じてしまう病。 もう若くないのに、まだ青くなってしまう病。治ったと思っていた問いが、静かに戻ってくる病。そして、それはもしかすると、人生後半に与えられる最後の才能なのかもしれない。
厨二病は治らない。ただ、死が近づくと再発する。
その再発を、笑って終わらせるのか。生活でまた上書きするのか。誰かを探し続けることで見ないようにするのか。それとも、何かの形に変えるのか。
人生後半の創作は、たぶんそこから始まる。死を深刻に語ることからではない。老いを克服することからでもない。完全な自由を手に入れることからでもない。
生活の中に残っていた小さな青さを、もう一度取り出すこと。それに名前をつけること。誰かと話せる形にすること。少し笑える距離をつくること。そして、自分が戻っていける場所を、今日のうちに少しだけ作っておくこと。
厨二病は治らない。でも、治らなくてよかったのかもしれない。
それは、死が近づいたときに、自分をもう一度創作へ戻すための、最後の火種なのだから。
© SHIRO & Co.
First published: 2026-07-08